調査会社のMM総研は2014年10月30日、同年9月末時点における日本国内の携帯電話端末契約件数1億2424万件のうち、スマートフォン(スマホ)が6248万件、フィーチャーフォンが6176万件と、初めてスマホが過半数を占め、いわゆる「ガラケー」を超えたことを明らかにした。

 私自身がフィーチャーフォンからスマホへ切り替えたのは2009年のこと。当時から活動のベースを上海に置いていたこともあり、日本の携帯電話はコンビニで買えるVodafoneのプリペイド式を愛用していたのだが、最後は確か2004年あたりに購入した三菱電機製の端末だった。スマホに切り替えたきっかけは、仕事で日本に来た際、外出先でメールを送受信する必要が増えたこと。私の使っていたフィーチャーフォンは通信キャリアによるいわゆる携帯メールしか送受信できなかったため、米Apple社の「iPhone 3GS」にした。まだ日本では通信キャリア間の番号持ち運び制度(MNP)が始まっていなかったので、日本でiPhoneを扱っていたのがVodafoneを買収したソフトバンクで、番号を変更する必要がなかったことも、iPhoneにした決め手だった。

 一方で、中国では引き続きフィーチャーフォンを使っていた。今であればSIMフリーのiPhoneを購入し、中国と日本でカードを入れ替えるという選択肢もあるが、当時はそれができなかった。中国でも2009年10月からiPhoneが正式に発売されたが、iPhoneの新品を2台持てるほどの経済的余裕は残念ながら当時も今もない。

 中国で使っていたのはソニーエリクソンのフィーチャーフォンだった。私は1990年代を香港、2000年以降は上海をベースに活動しているのだが、1990年代の香港で携帯電話の主流だったのは、フィンランドNokia社、米Motorola社、スウェーデンEricsson社だった。2000年代の上海でも、スマホが台頭するまではNokia社とMotorola社が他を圧倒していた。日本メーカーの端末は、今よりは種類が多かったが、それでも主流というにはほど遠いのが実情だったような印象がある。

 それが2001年、ソニーがEricsson社と携帯電話事業で合弁すると、香港や上海でボディーに「Sony Ericsson」の文字が踊る携帯電話を見かけることが増えていった。