更に、日本の人事制度ではエンジニアとして優秀な人を高く処遇しにくいという事情もあります。日本の大手電機メーカーは年功序列の人事制度です。なぜエンジニアの処遇が問題になって、営業や法務、知財など他の職種では問題にならないのでしょうか。

 一般化は難しいですが、優秀なエンジニアは往々にして、変な人と言っては失礼かもしれませんが、極めて個性的でマネージャーに向かない人が多いのではないでしょうか。周囲の反対も聞かず、ある分野に特化して、自ら信じるところに突き進む、というエンジニアに求められる特性は、組織人として調整型のマネージャーに求められる特性の真逆とさえ言えるでしょう。

 従って、エンジニアとして優秀でも役職者として処遇してもうまくいかない場合が多いのではないでしょうか。歴史のある日本の大企業でも、「プロのキャリア」が人事制度としては形式的にできています。しかしその適用例は、功成り名を遂げた有名人のようなごく一部というケースが多いのではないでしょうか。

 新興のネット企業ではエンジニアはどのように処遇しているのでしょうか。もし参考になる例があるのならば、教えて頂きたいところです。大企業では基本的には管理職として昇進しないと処遇は良くならないのが現実でしょう。これでは優秀なエンジニアを報いることは難しい。

 一方、営業や法務、知財などの分野では、元々多くの人とコミュニケーションができないと仕事自体できないのではないでしょうか。こうした分野で優れた成果を出した人達は管理者としても優れていることも多く、現在の人事制度でも役職者として相応に処遇できるケースが多いのではないでしょうか。

 以前は日本企業で働くことはローリスク・ローリターン。事業を成功させてもさして給料は上がらない。でも、終身雇用が保証されるならば、まあいいじゃないか、という感じだったと思います。ところが、今や事業も技術も変化が激しく、企業としても建前はともかく実質では終身雇用を保証できなくなっています。

 もちろん業種にもよりますが、多くの企業では大手企業に居たとしても、ハイリスクに変わってしまったのです。更に、エンジニアとして優れた人材を処遇する人事制度が整っていない。国内の労働市場は貧弱。ハイリスク・ローリターンでは割が合いませんので、優秀なエンジニアは海外企業に移るという現在の動きは仕方のないことだと感じます。

 今の時代は、アウトソースなどのサービスが発達し、アイデアさえあれば、試作品を作ったり、事業化も以前に比べれば簡単にできるようになりました。アイデアがある人にとっては良い時代ですし、企業にとってもとびきり優秀な人が重要になっているのです。

 しかし、日本はゼロから1を生み出す人を大切にしているのでしょうか。日本の組織も少しずつは変わっていますが、周囲からバカにされながらも新しいことを始めた人を、成功した後になってからは、
「周囲のサポートがあったからだ」
「あいつ一人の手柄ではない」
などと言ったり、ひどい場合には
「実は俺がやったんだ」
と成果を横取りすることが少なくないのではないでしょうか。

 海外への人材の流出はノーベル賞レベルだけでなく身近なエンジニアでも起こっています。エンジニアだけに限る話ではないと思いますが、まずはパイオニアを処遇するようにならないと、日本の復活はないのではないかと思わされたノーベル賞でした。