最近、国際標準という言葉を耳にすることが多くなった。私が関係している業界のほとんどが国際標準の枠組みに関係していると言ってもいいだろう。それほど、この国際標準に関わり、いや、縛られていると言ってもいいくらいに、組み込まれている。

 それはそれで仕方のないことである。もとはと言えば、WTO/TBT協定(貿易の技術的障害に関する協定)によって、国際標準の優位性を明確にして、加盟国は強制規格、任意規格(標準)、適合性評価手続を必要とする場合において、関連する国際規格をその基礎として用いなければならないと、定められているからである。

 さて、私は今回、この国際標準について詳しい解説をしようとしているのではない。言いたいのは、まず国際標準を決める各国の動きや考え方は、国を挙げて自国の企業を守るための“談合”であるということと、それなのに、我が国が(国際標準化の主導力において)あまりに弱いのは、この“談合”するチカラが弱いからではないか、そう言いたいのだ。
 もっと言えば、外国勢は“談合”が当たり前なのに、我が国では“談合”が悪いと言うのでは、何をやっても負けるだけ。もうそろそろ、本当に“談合”が悪いことなのか、それを議論しようではないかと言いたいのである。