回遊を阻むタコツボ社会

――それと関係があるのか、ボルツマン、プランク、アインシュタイン、みんな自ら楽器を演奏して音楽に造詣が深いでしょう。それと創発とは関わりがあるのかどうか。

[画像のクリックで拡大表示]
ウィーン中央墓地にあるボルツマンの墓(上)。そのすぐそばに、音楽家たちの墓がある(下)。左がベートーベン。中央がモーツァルト。右がシューベルト。さらに右にブラームスの墓や、ワーグナー、ヨハンシュトラウスの墓もある。
[画像のクリックで拡大表示]

山口 ありますね。科学者の創発はビジネスの創発よりも芸術家の創発に近い。だからアートでしょう。特に音楽。あの頃、オーストリアをはじめとするドイツ語圏の諸国には音楽家が満ち満ちていました。ポーランド分割によってユダヤ人たちが庇護(ひご)を失って難民として流れ込んでくる。そのとてつもない文化の激突と混沌の中で、新しい音楽が生み出されていくわけです。あそこでクラシック音楽も生まれ、哲学も生まれ、そして物理学も生まれたと思います。

――「上から降りてくる」あるいは「天とつながる」という感覚でしょうか。の中でアインシュタインのユダヤ的知性に言及しています。ユダヤ的知性というのは既存のシステムや自己という存在に絶えず疑問を投げ掛ける、そこからある種のパラダイム破壊が起こる、と。自分のいる世界からいったん外に出るというのは、いわば越境的感覚ですね。山口さんが挙げられた、パラダイム破壊を促す要素のうち、知を越境する「回遊」はユダヤ的知性とリンクするのではないでしょうか。

山口 そうですね。いったん世界から出るわけです。日本は残念ながら、科学を「外来種」として、古来の学問とは断絶して輸入してきたから、それぞれの分野で「回遊をするな」と教えられてきました。他の分野には行くな、惑わずそこを深く掘っていくことが偉いのだ、というところがあります。

――一種のタコツボ化ですね。日本の「子供の文化」は創発を促す一方、タコツボ社会は回遊を阻んでいる。

山口 ええ、だから日本は軸が絶えず揺らいでいます。子供文化が生み出したサブカルチャーは本当に独創的なのに、大人文化の世界では越境を嫌うので、ちっともグランドデザインを描くことができません。

 でも、常識だと思っていることに違和感を覚えることは必ずあるはず。何か変だなと思う。なぜ変なのかと思ってずっと掘っていくと、異分野のことを勉強しないと絶対に先に掘り進めません。異分野のことを勉強して、勉強して、掘り進めていくという感覚が大事です。それが新しい知の創造につながるのだと思います。

――では、日本で異分野の勉強を新しい知の創造につなげるためには、例えば日本の大学教育はどんなことをすれば良いのでしょうか。

山口 まず創発を自分のものにするためには、研究しなくてはいけません。学部教育では研究に至りませんから、創発を身に着けるためには大学院で研究をやらなくてはならない。そして博士号を取って突き抜けてほしい。

 今や、新しい問題発見は常に分野横断的です。だから、回遊をしない限り、新しい問題を発見できないし、それを解決することもできません。例えば、原発事故以後、いまだに日本はエネルギー戦略のグランドデザインが描けていない。それこそ、日本の政策科学の最大のプライオリティーです。しかし「村八分」にされることが怖くて、誰もやろうとしない。おかげで、世界中から日本は、ヘタレと見なされている。これはなぜかというと、物理学からエネルギー工学、そして経済学から政策学に至るまで、越境して回遊できる科学者が、この国にはとても少ないからです。

 創発と回遊、これこそがこれからの日本の大学院にとって最も重要なテーマです。それをやり遂げられる大学院をどんどんつくっていかなくてはいけません。