「もうこの世界には戻れません」

――漢字学者の白川静さんは、ご自分が好きな漢字の一つに「狂」を挙げておられました。「人が一事を成すためには狂が必要だ」と。

山口栄一(やまぐち・えいいち)
京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授。1955年福岡市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻修士課程修了、理学博士。米ノートルダム大学客員研究員、NTT基礎研究所主幹研究員、フランスIMRA Europe招聘研究員、経団連21世紀政策研究所研究主幹、同志社大学大学院教授、英ケンブリッジ大学クレアホール客員フェローなどを経て、2014年から現職。

山口 なるほど、狂わなきゃだめだと。本当だ、狂うって大事ですね。

――確かに一事を成した人を見ると、狂っている人が多いです(笑)。凡人なら「まあ、こんなところで十分か」で終わるところを、そこで終わらずに、とんでもなくこだわっていく。それは周りからすれば狂っているように見えるわけです。

山口 なるほど。私について言うと、常温核融合に関わるのは、ある意味で狂うことでした。だってパラジウムの温度が800℃以上に上がるなんて、普通の化学反応では説明が付かない。

 でも私はそれを目撃した。表面がいったん溶けてしまい金と合金化したパラジウムに触ってひどいやけどまでした。それでも、天に目撃させてもらった以上、最後まで解明しようと思った。そこで、否応なく外れることにしました。外れていいと思わなければ、できやしない。

――これまでの枠の中に収まろうとしてはだめだと。

山口 ええ。私は親しい東大教授から言われました。「山口さんはもうこの世界には戻れません」と(笑)。なるほど言い得て妙だと思いましたよ。私はもう狂った世界にいるわけです。だから自由なのです。

――山口さんは「知を創造するプロセスは『夜の科学』であって、真の闇の中で行なわれる」との中で書いています。科学者とは、創発こそが人生ですから、「夜の科学」の住人でなくてはならないのでは。

山口 そう思います。「創発」をしない人は、本当の意味の科学者ではない。それだけではなく、例えば常温核融合について、自分で何も実験しないでマスコミや他人の意見を聞いてハナから否定する人を、私は「ほんまもん」の科学者だとは思いません。「ほんまもん」なら、自分でゼロから実験してみなくては。

1993年9月にイタリアのアスティで行われた常温核融合にかかわる会議。「外れた人々」が集った。

 最初からパラダイムの中にいて、人から褒められることばかりやっていては、トマス・クーンのいう「パズル解き」になってしまいます。とはいえ、全員がパラダイム破壊をする必要はない。全員が外れる必要はないです。

――全員が狂ったら社会が成り立ちませんからね。誰かきちんと正常を保つ人がいないと狂えないですね、危なっかしくて。