向かって行くときは子供の精神

――「魂の在りか」とか「悟りを求める」と言うと、どうしても仏道修行みたいなイメージを思い浮かべます。何ものにも動じないような人格者のイメージです。

山口 結果として人格的な何かを得るのかもしれませんが、向かって行くときは子供の精神です。どうしても知りたいものがそこにあって、突き抜けたいから行くという感覚でしょう。

――つまり真理をつかみたい。

ハイゼンベルクが学んだドイツのミュンヘン大学(正式名、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学)。21歳のハイゼンベルクは1923年にここで博士号を授かる。
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山口 私は、23歳のハイゼンベルクがヘルゴラント島にこもって思索の日々を過ごし、ついに悟りに達した瞬間に発した言葉が好きです。「かなり夜更けのことであった。それから、私は苦労して計算した。すると、合っていた。私は岩山にのぼり、日の出を眺めた。そして幸福だった」。とても気高い詩のような言葉です。ゲーテの『西東詩集』が大好きだからこその詩だと思います。

――悟り、ですか。

山口 釈迦牟尼(ゴータマ・シッダールタ)もそうだったと思います。彼も激しい苦行をします。そのときはやっぱり知りたかったのだと思います、その向こうにあるものを。

――確かに仏教は宗教というよりも一種の哲学というか、この世界をどう把握するか。

山口 そういうことです。世界の把握の仕方ですね、あの世も含めて。仏陀が悟りを開いたのは30歳代だと言われています。悟りを開いた瞬間、嬉しくてみんなに知らせに行くわけです。おれはこんなことを見つけたと。あれ、かわいいですよね。

――かわいい(笑)。

山口 あの感覚です、科学者がやっているのって。

――「ユリイカ(見つけた)!」という感じですか。

山口 そうですね。アルキメデスだって裸になって飛び出していったわけですから。

――それは嬉しいですよね。

山口 嬉しいですよ、やっぱり見つけたら。