ニュートンは悟りを求めていた

――それが山口さんの言われる「科学の魂」だと思うのですが、「魂」というのが抽象的でもあります。この本の中では「揺るぎない軸を付けるための物理学」とか「人を高め、精神を強くするための物理学」という言い方もされていて、それがこの本の特色であり魅力でもありますが、科学を考えてこなかった私たちには伝わりにくいところがあります。

山口 そこをひもときたいですね。

――みんな物理学や工学を一種の道具と思っているため、それが精神を高めるものというふうにはイメージしていないと思います。

山口 していませんね。でも、例えば文学とか哲学は自分を高めたいから勉強しているでしょう。でも日本では科学をそんな感覚で学びませんよね。そこがズレているのです。

ケンブリッジから100kmほど北にあるウールズソープに、今も残るニュートンの生家。
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――例えば『論語』を読んで自分を高める、これは分かります。そうではなくて、物理学の1行の数式、物理学の魂の部分が自分を高める…。

山口 そうです。つまりちょっとうがった言い方をすると、科学者たちは悟りを求めていたのです。ニュートンは明らかに悟りを求めていた。彼は鬱屈した精神の中でもがいていて、どこかに突き抜けたかった。20歳代前半の多感な時期にあれだけの発見ができたのは、やっぱり自分のトラウマから逃れたかったのです。それはみんなそうです。ボルツマン、プランク、アインシュタイン、みんな突き抜けたいわけです。それは哲学者が突き抜けたい感覚と全く同じです。

ウールズソープのニュートンの生家に今もあるリンゴの木(中央)。
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――それが最も分かりやすいのは序章で紹介される山口さん自身の体験で、1行の数式を理解した瞬間、「こんな美しい形でこの世界が成立しているのを知った以上、自分はもう何があっても揺らぐことはない」という一種の天啓を得るわけですね。そんな天啓がニュートンたちにもたらされたと。

山口 そうです。科学はそうやって生まれたのです。魂から生まれた。それを伝えたかったのです。