――それが科学者たちの知の創造プロセス、山口さんの言う「創発」ですね。

山口 創発を生み出す精神。それを私は魂と呼んでいます。欠けている魂を完全にしたいと思ったら、誰も知らないことや見たこともないものを見て埋めようとする。欠けた人間には、もうそれはレゾンデートル(自分が生きる理由)として仕方なくやるわけです。

――やらざるを得ないということですか。

山口 やらないと生きていけない。経済学者のケインズが「ニュートンは最初の科学者ではなくて、最後の魔術師だ」と言いました。私は「ケインズは全くニュートンのことを分かっていない」と思いました。つまり昔も今も科学者は、この世の裏にある法則を知りたい。知ることでこの世をとことん理解したい。その気持ちにおいて科学は極めて哲学的というか、人間の魂の在りかを求めるようなものとして存在していて、今でもそうあると私は思います。

ケンブリッジ大学のキングス・カレッジ(右)とクレア・カレッジ(左)。手前にケム川が流れる。若きニュートンも、これと同じ景色を見ていた。
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――ニュートンはキリスト者として「法則や定理の発見を通じて神の御業を見る」といったことを語っていますが、ケインズの「魔術師」はそのあたりのことを指しているのですか。

ニュートンが学生時代に住み、そして教授となったケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジの中庭。正面は、クリストファー・レンが設計した図書館。周囲に張り巡らされた回廊で、ニュートンは音速を測定した。
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山口 それもそうですが、もう1つは錬金術です。錬金術はブードゥー・サイエンス(偽科学)だという思い込みが私たちには染み付いていますが、錬金術ぐらい科学的行為はないと私は思います。もちろん、錬金術は科学のオープンネスからは離れていますが、錬金術をやった人たちの心は、この物質世界の裏にある法則を知りたいという欲求そのものだったと思います。