日本に欠如する科学リテラシー

――科学リテラシーというのは、具体的にいうとどういうことですか?

山口 直近だと、例えば福島の原発事故です。東京電力の現場は原子炉水位がマイナスになっては絶対にいけない、逆にいうとプラスに保ってさえいれば原子炉は物理限界を超えず、暴走しないことを知っていたはずです。だから当時の菅直人総理や内閣官房参与への就任が決まっていた日比野靖教授は、RCIC(隔離時冷却系)が動いて何とか原子炉水位がプラスに保たれている間に、すぐに海水注入をすべきだと提案しましたが、武黒一郎フェローをはじめ清水正孝社長、勝俣恒久会長などの東電の経営陣は故意にそれを拒み続けました。

――経営陣としては廃炉にしたくないから、海水を注入せずに済むなら、と思ったのでしょうか。

山口 せめて東電の経営陣が、原子炉は物理法則に基づく物理限界を超えた瞬間、コントロール不能になるということをきちんと知っていればよかったと思います。それは経営上も一番重要なことでしょう。経営者が海水注入を拒んだのは科学リテラシーが欠如しているからで、そこが問題です。

転覆事故を起こしたJR福知山線上り列車は、写真奥から直線6.5km(制限速度120km/時)を手前に向かって走ってきて、写真に写る半径304mの右カーブ(制限速度70km/時)で外側に転覆した。1996年に上り線のカーブは半径600mから304mに変更されていた。直線部の3分間に運転士が心神喪失や判断不能に陥ったとき、半径600mならば、転覆確率は0、一方半径304mならば、1であることは、高校物理学で容易に証明できる。
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 JR福知山線転覆事故も同じことです。転覆限界速度を超えれば、物理限界を超えて列車は転覆する。しかし、経営者の無知のために、線路設計が1996年12月に変更されて、確率1で列車が転覆するという状況が“予約”されてしまった。そして2005年にその予約が現実になった。

 ところが、経営者は科学リテラシーがないということを前提に裁判がなされています。検察も科学がよく分からないから、司法の世界では科学を論じません。これでは、物理限界の意味すら知らず科学リテラシーのない文系を社長にしておけば、すべての組織事故は免責になってしまうという奇妙な国家が出来上ってしまいます。

 今回のような本が絶対に必要だと思ったのは、日本では科学を論じないというしきたりが出来てしまって、それを何とかしたかったからです。科学を論じないことにしたのは、明治以来、科学は機械であり、精神とは何も関係がないから放っておいていいとしたのだと思います。社会科学や人文学の範疇で物理学を論じることは絶対にしないということです。だけど科学って実は最初に考えなくちゃいけない精神だと伝えたかったわけです。