思い立ったら始めるしかない

 しかし、時期尚早はいただけない。開発をスタートさせるのに、時期が早いとか遅いとか、そんな話を聞いたことはない。あるとしたら、開発が上手くいったその後で、「たまたま時期が良かった」と言われたことはあるし、逆に上手く行かなかったときに、「時期が早すぎた」と言い訳にする人をたまに見る。

 知的財産権の出願のことを考えれば、よく分かる話だ。一体、出願時のタイミングを計るものがいるだろうか。世の中は広いのであって、誰かが同じことを考案しているのかも知れないのだ。いつか、自動車のバックミラーについて先願調査したら、何と同じような構造の出願が7500件もあって驚いたことがある。それはそうだ、同じ人間同士が考えること、同じ分野で開発をしている者はゴマンといる。だから、知財は早い者勝ちで、開発も思い立ったら始めるしかないのである。

 話を戻して、時期尚早はどう考えてもおかしいと思う。顧客のニーズが分かっていて、それに対応するシーズもあるのなら、すぐに始めればよいではないか。

 以前、iPadが出始めた時、「バグがあったらお知らせください」と言われてビックリしたのを覚えている。我が国のメーカーなら、バグがあったら商品ではないと、バグを取って取って取りまくって出荷するのが当たり前。でもバグが出て、出荷した製品全部を回収するという笑えない話もあったが、そんな時代に、バグがあるのは当たり前と言うのだから、本当に驚いたものだ。

 しかし、これが本当ではないだろうか。お客様が欲しいと言い、供給側もある程度のものを作ることができるなら、それでよいのである。ところが、人間とは弱いもので、何か不具合があると、責任を取らされるのではないかと、本能的に心配するものだ。あらかじめ、大丈夫と太鼓判を押してくれればいいのだが、そんな太っ腹の上司は多くない。

 だから、人間(特に日本人)は、何をするにもあらかじめの吉凶を気に掛けるようになったのではあるまいか。神社に行ってはおみくじを買い、ここしばらくの吉か凶かを自分で占い、資格試験や受験に備える時は、お札を買って絵馬に合格祈願を書き入れる。

 もっと身近なところでは、スケジュールを書き込む手帳を見れば分かる。手帳には六曜(ろくよう・先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口のこと。吉凶占い)が記されていて、その日の行動をどうするか、それで決める者もいるのである。