半導体(DRAM)や液晶ディスプレー、薄型テレビ――。韓国サムスングループを語る上で必ず話題に上るのが、かつて日本企業が栄華を誇っていた産業分野で同社がトップに上り詰めたことだ。筆者が2004年9月に赴任したサムスンSDIが手がけていたリチウムイオン電池事業もその1つ。当時の民生用リチウムイオン電池市場のシェアは、三洋電機(当時)、ソニー、松下電池(当時)に次ぐ世界4位だったが、現在は世界首位の座を堅持している。

 サムスングループが手がける事業が、日本企業のシェアを奪っていることは数多くのメディアが報じているが、実際にサムスン社内ではどういった戦略が採られていたかは知らない読者の方が多いと思う。

部材メーカーとの関係を改善

 筆者がリチウムイオン電池や燃料電池、太陽電池といったエネルギー関連の技術経営担当の常務として赴任した2004年9月。まず驚いたのが、日本の部材メーカー各社が研究開発やビジネス創出のためにサムスンSDIを訪れていたにもかかわらず、協業関係がまったく確立されていなかったことだ。

 実際、赴任して1カ月後には次のような場面に遭遇した。日本のある商社がある材料メーカーを連れて中央研究所の研究者と協議をしていた際に、赴任の挨拶を兼ねて筆者が途中から出席した。挨拶を終えると同時に商社の担当者から、「佐藤常務、良いところに来てくれました。サムスンSDIはいったいどういう会社なのですか。対応がひどいし問題が多いので、ぜひ聞いてほしい」と相談されたのだった。

 何が起こったのかと思い、話を聞いてみると、「この部材メーカーが、リチウムイオン電池の負極材料をサンプルとしてサムスンSDIに提出したにもかかわらず、評価のフィードバックは半年以上、待ってもない。何度か問い合わせているうちにサムスンSDI側からは、『担当者が退社して誰も引き継いでいないので、サンプルの保管場所もわからない』と回答された。こうした状況は、日本の電池メーカーとの付き合いと比較すると考えられない。佐藤常務に何とかこの状況を改善してもらえませんか」という内容だった。

 この商社からの訴えは、筆者にとってにわかに信じられないことだった。なぜならホンダ時代、電池メーカーや部材メーカーからサンプルを提供されれば、評価データをフィードバックし、次にどういった開発を進めていくかの議論をする文化は当然のことだったからだ。

 もちろん、相手側の意見を聞くだけでは事態は判断できない。実際のところはどうなのか、自ら実態調査に乗り出すことにした。すると、この部材メーカーだけでなく、他の部材メーカーでも似た様なケースがあちこちで散見されたのだった。その数は、両手では収まらないほど。このままでは日本の部材メーカーから見放されるとの危機感を抱き、経営問題としてサムスンSDIの社長に個別に提言した。

 幸い、社長も大きな問題だと認識してくれる運びとなり、経営会議で説明するようにと指示された。筆者の訴えが通じ、筆者が関係修復のための責任者に任命され、問題の早期解決を進めることになった。赴任から5カ月近く経った2005年1月のことである。

 具体的には同年3月に、韓国から韓国人役員と部課長級メンバーの一行を引き連れて、関係が悪化していた日本の部材メーカー数社を訪問。これまでの経緯に対するお詫びと改善策の提案、そして今後のビジネス計画などにも触れて丁重に対応させていただいた。その後はしばらくの間、日本の部材メーカーとの協議には時間の許す限り出席。二度と関係悪化に陥らないように、「お目付け役」としての役割も演じたほどだ。

 こうした努力が実を結び始めたのは2006年ごろから。データのフィードバックが迅速になったほか、評価結果の議論では単に良し悪しの結果だけでなく、具体的な改善点を協議できる組織に変化していった。