私はFlash Memory Summitに参加した際に、Sze博士の教え子である旧知の技術者から、Sze博士が浮遊ゲートセルを開発した当時の事情を聞くことができました。Sze博士らが浮遊ゲートを最初に提案した論文(D. Kahng and S. M. Sze, “A floating gate and its application to memory devices,” Bell Syst. Tech. J. Briefs, pp. 1288–1295, vol. 46, Aug. 1967.)はベル研究所を買収したAlcatel-Lucent社のホームページ(リンク先)で読むことができます。

 Sze博士らの論文が掲載されたBell Labs Technical Journalは、企業(ベル研究所)が発行しているものです。純粋な学術誌というよりも、自社技術の宣伝のための広報誌のような意味合いもあるようです。IEEE(Institute of Electrical and Electronic Engineers)などの学会が発行する論文誌に比べると評価は高いとは言えないでしょう。

 なぜSze博士ほどの著名な研究者がIEEE Electron DeviceやApplied Physics Lettersといった論文誌に論文を出さなかったのかと、当時を知る人たちに聞いたところ、どうやら一流の論文誌に論文を投稿したものの「非現実的である」と掲載を拒否されたようです。

 この論文では書き換えに必要な電圧は50Vと現在のフラッシュメモリの20Vよりも2倍以上高い電圧が必要でした。また、電源を切ってもデータを保持できる不揮発性メモリと主張しながら、データを保持できる時間は1時間程度と、とても短いものでした。

 当時は浮遊ゲートとシリコン基板の間の絶縁膜を均質に作ることは難しく、絶縁膜を介して浮遊ゲートに蓄えた電子がシリコン基板にリークしてしまったようです。プロセス技術に問題があったため、「真の不揮発化(電源を切っても長期にデータを保持できる)」にはほど遠い性能しか出せず、その結果、権威ある論文誌には掲載を拒否されてしまったようです。