誰でも固有の波長を持っている

 考えてみると、初めて会う人をどうみるか、これが大変難しい。今時、ネットで何でも検索できる時代、会う前にある程度の情報を得ることは、そう難しいことではない。しかし、それで人間が分かれば世話はない。時にはこんなことまでオープンにしていいのかと思うほど、多くの情報を知ることができるようになっているのに、その人の本質は分からないのだ。事前に情報を収集して会うのだが、会ってみると考え方や価値観がまるで違うと思うことが多いのだ。

 あらかじめ仕入れた情報が当てにならないと分かると、肩透かしを食らったように思うこともある。特に、人柄と言うか人間性と言うのか、そう、これが波長なのであるが、安心して付き合える人物かそうでないか、それが大事なのである。

 よく、企業調査会社の調査票を見ることがある。業種が何で、業務は何で、取引先にはどのような会社があって、その企業の売り上げや利益の数年分が記載されていて、社長の生年月日と学歴があって、趣味は何々。そのような情報を目にすることがある。しかし、社長の本当の人柄が分かるようになってはいないし、彼らの趣味はほとんどがゴルフ、音楽鑑賞そして読書である。

 多分、と言うより、絶対に社長の人柄を表記することはできないと思う。企業調査表に本人が「私は優しく正しい人格者」と書いたら、それは限りなく怪しいだけだ。だから、あらかじめその人の人柄や為人(ひととなり)を知ることは不可能で、事前に当てになる情報を得ることはできないと思った方がよい。

 故に、波長なのである。波長の意味を考えれば分かる。波長が合うか合わないか、それは電波で交信するときの絶対条件だ。発信側の波長と受信側の波長が合わなければ通信はできないのである。しかも、波長は電波の強弱ではない。どんなに大出力で送信しても、波長が合わなければ受信はできない。逆にどんなに電波が微弱でも、波長さえ合えばアンテナの感度を上げれば通じるのである。

 そして、ここが一番大事なところだが、人間は誰でも固有の波長を持っている。周波数と言ってもいいもので、クオーツ時計に搭載されている水晶発振器のようなものが、体内にあるに違いない。そして人間の波長とは、生い立ちから現在に至るまで、その人の様々な経験、すなわち、人生ドラマの記録であるとも言える。

 そう言う意味で、波長はその人の想いや考え方、価値観の度合いや好き嫌いという個性や感性なのだから、それがお互いに合えば気心は通じるのである。事前に相手を調べたりする必要もなく、波長が合えば、例えそれが初対面でもお互いに通じるし、合わなければ、どんなに折り合っても関わり合う事は難しい。

 ときに、言うことがコロコロ変わったり、責任逃ればかりの人がいる。多分、このような人の波長は安定しているはずはない。信念もなければ個性もなく、いつもフラフラと周囲の雑音に乱されているのだろう。さみしいことだ。