お寺さんと檀家の信頼関係はすごいのだ

 私は仏具メーカーの顧問を長く経験したので、多くのお寺さんと仲良くなり、彼らの話を聞く機会がよくあったが、祥月命日に行くか行かないかは、生前に故人が決めることはほとんどなく、遺族のペースによることらしい。要するに、毎月来て欲しいのか、お盆だけでよいのか、それはあくまで檀家さんが何となく決めて、お寺さんも何となくそうしているのである。

 そして、ここが肝心だが、読経時間やお布施の額に特段の取り決めはないのにも関わらず、お互いの関係について、おおむね、お互いに満足しているのである。つまり、お寺さんと檀家のやり取りは、何となくそうなっていて、仮に、行くのを忘れたり、お布施を出すのを忘れても、お互いの関係が切れるようなことはない。

 この話、見方を変えれば、すごい信頼関係とは言えまいか。何の契約書もないのに、決まった日(忙しくなると調整することもある)にお寺さんが来て、ある程度の仕事をして、ある程度の報酬をちゃんと受け取る。お寺さんは故人や先祖を弔うために檀家に行くのだが、その業務の内容について、規定もなければチェックもない。これをビジネスと言ってよいのかどうかはわからないが、このビジネスはこれで成り立っているのだから、私はすごいと思うのだ。

 また、お寺さんと檀家の関係が始まると、お互いに金銭的な話でもめることはない。今のお布施でより長時間、気合を入れて読経するお寺さんを探すことはないし、今のやり方でもっとお布施を出す檀家を探すこともない。

 お寺さんに聞いた話だが、長く続いている檀家には、縁談の世話までするという。「どこぞにいい娘さんがいるから、息子と見合いをしたらどうか」などと、檀家の次の世代の世話までするのである。しかし、このようなとき、今どきの紹介サービスのように報酬を受け取ることはない。家系が続くかどうかという大事な話なのに、あくまでサービスで、しかもいい加減な相手を紹介することはない。

 この話、企業における事業という視点で見ると、本当にすごい話である。その企業が、永続的に事業が続くように、好ましい取引先を紹介すると考えれば、どれだけすごい報酬を受け取ってもおかしくないのに、サービスなのだ。