イラスト:ニシハラダイタロウ
イラスト:ニシハラダイタロウ
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 お布施とは、僧侶に施し与える金銭や品物を言う。私は、このお布施がよいと思っている。いやいや、私が坊さんのようだからではない。そう思っている人がいるかも知れないが、私は僧侶ではない。

 なのに、なぜお布施がよいかと言うと、このお布施というシステムは、非常によくできていると思うからである。あえてシステムと言うのは、本当にこのお布施という仕組みと言おうか習慣と言うのか、とにかく、昔から当たり前にあるこのお布施、高度なシステムと言いたくなるほど上手くできているのである。

 昔(今もそうだが)、どこの家にも決まったお寺があった。ご先祖さんのお墓を護(まも)ってもらう菩提寺である。一般的には家長である長男がお寺さんと付き合い、代々のご先祖さんを護ってもらうのだ。次男や養子に出た先にお寺が無ければ、新しいお寺を決めて、そこから始まる代々のお墓を護ってもらう。日本人は信心が無いと言うが、お寺さんとのお付き合いはどこの家でも当たり前であったのだ。

 さて、毎月、ご先祖さんの祥月命日(一周忌以後における故人の死去の当月当日)になると、お寺さん(住職)が家に来て、数分から長くても数十分、ムニャムニャ(失礼)と仏壇に向かって読経する。お寺さんにも檀家(信徒)にも大事な儀式ではあるが、読経の時間がきちっと決まっているわけでもなく、お茶を飲みながら世間話をして、何気ないそぶりで檀家がお布施を差し出し、お寺さんもスイッと懐に納めて帰る。お布施の額に特段の決め事はなく、数千円である。