大学も変わらなければならない時に、今回の博士論文の騒動が持ち上がりました。率直に言って、今回の博士論文騒動では、日本の社会は大学に大して期待していないし、以上のような問題意識は、社会の方にも大学にもまださしてないのかもしれないな、と少しガッカリしました。海外の大学でMBAを取った社員を「使いにくい」と日本企業では言われるように、身に付けたスキルで人を評価するようになるにはまだ時間がかかるのかもしれません。

 教育と社会は表裏一体です。STAP細胞の博士論文の顛末は、ある意味で現在の日本社会を映し出しているように感じます。学生の学力が下がっても、「それでも卒業させろ」という社会のプレッシャーもあり、教える内容や卒業の基準がゆるくなる。教育の現場では、学生に厳しい教員は敬遠され、単位を簡単に出す教員が歓迎されることも。そして、学力が低下した学生でも使わざるを得ない企業。

 この負のスパイラルは、企業が外国人を積極的に採用したり、優秀な高校生が海外の大学に進学したり、質の低い大学の経営状態が悪化することで少しずつ顕在化していくのかもしれません。優秀な子供たちを集めている中高一貫校には、「東大よりも海外の大学を目指そう」と大学から海外に飛び出すことを奨励しているところもあるようです。どれだけ早く変われるかは、まさに私たち自身に問われている問題ですが、グローバル化や技術の急速な変化は、企業だけでなく、個人の学びや大学の在り方にも変化を迫っているのではないでしょうか。