私は、20年ほど前にモジュラーデザイン(MD)の研究に着手し、韓国Samsung Electronics社や日本の大手企業でコンサルティング実績を上げてきた。現在は、製造業向けコンサルティングファームの同志と共に「日本モジュラーデザイン研究会」を結成し、MDの手法を拡張・普遍化して世に広めようとしている。

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 MDは、製品を多様化して売り上げを増やしつつ、部品や製造設備の種類を削減して原価低減を図る手法である。製品の多様化と部品種類の少数化は二律背反なので、その解決法を追求すると、製品の企画プロセスと部品の設計プロセスの革新、すなわち開発プロセスの革新に至る。製品の多様化は顧客要求であり、部品(製造設備)種類の少数化は会社要求と地球環境保全要求である。MDは、顧客満足、会社満足、地球満足を同時に実現する21世紀型の方法論だ(詳細は書籍『実践モジュラーデザイン』(日経BP社)や日本モジュラーデザイン研究会のWebサイトを参照)。

 私がMDを志向したのは、日本のバブル経済が真っ盛りの1988年である。当時は、「シーマ現象」という言葉が流行したように、豪華で値段が高いものほど売れる時代であった。私は「これは何かが間違っている。このような地球資源を浪費する経済では地球が危ない」と考え、MDの研究に着手した。消費者は一度手に入れた利便は手放せないので、部品の共通化によって製品が味気なくなっては意味がない。MDでは、最初から製品の多様化と部品種類の少数化を目標にした。

 近年、独Volkswagen社が「Modular Toolkit Strategy」を公表したところ(着手したのは2003年)、トヨタ自動車が「Toyota New Global Architecture」、日産自動車が「日産CMF(Common Module Family)」、マツダが「コモンアーキテクチャー」というモジュール化戦略をそれぞれ掲げるなど、自動車業界全体がモジュール化を追求し始めた。自動車業界の動向は産業全体の動向を示す指標であり、ようやく時代が追い付いてきたという印象がある。

 私は、1968年に東洋工業(現・マツダ)に入社してロータリーエンジンの研究開発に従事した一介の固有技術者だったが、その後、MDの研究に転じてMD方法論を確立した。その背景には、人生の示唆を与えてくれた多くの人々との出会いや、さまざまな経験からの発見・教訓があった。本連載では、MD方法論を確立するまでの私の経歴を振り返ってみたい。人は、他者の経験や知恵の上に自分の経験や知恵を上乗せして進化してきた生き物である。読者が本連載から何かを感じ、自分の業務や人生に生かし、新しい進化を遂げていただけたら本望である。