近年の医療機器産業の中で比較的新しく開発された商品に、パルスオキシメータがある。アイデアは日本で創始されながら、産業としての見地からは米国に押され気味の製品の具体例だ。今回は、その開発過程からなぜそうなっているのかについてコメントし、将来に向けての展望を占ってみたい。

ヒット商品になったパルスオキシメータ

 これまで、パルスオキシメータの開発についての記事は多岐にわたって記述してきた。だが、こと事業化・商業化を決断した人物に関してとなると、筆者の想像の域を脱している。一人の医師なのか、メーカーのエンジニアなのか…。今、それを知るすべがない。

 古典的パラメータの並ぶ生体情報の中では比較的新しいパルスオキシメトリーだが、現在では大きな活躍の場を得ている。この状況が生まれた背景には、言葉は悪いがそれを「仕掛けた人間」の存在があるはずだ。それなくして、自然にヒット商品ができあがるなんてことはあり得ない。

 もしかしたら、その人物さえそれが大きな仕掛けであったことを意識してなかった可能性はある。しかし、その企画力のすごさをいうなら、そう多くは存在しない事例だろう。

 ともあれ、パルスオキシメータはまず米国で商品化され、その後、アイデアが生まれた日本へと“逆輸入”する形で入ってきた。そして、全世界へと展開され、大きな市場を築いていった。当初、麻酔科での術中管理や新生児管理を主目的としていたが、次第に広い医療分野で有効利用されるようになり、今日の繁栄に繋がったことは周知の事実だ。

医療機器開発における日米格差そのもの

 下表は、パルスオキシメータのアイデア・発明から商品化、その後の改良・改善などの各段階での開発状況について、米国と日本の対比を試みたものである。

パルスオキシメータの各開発段階における日米対比(図:筆者が作成)
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 ある意味では医療機器開発に対する日米の考え方や事業化の違いを如実に示すもので、特徴的な傾向が読み取れる。本来、我が国で発明された製品なので、臨床テストをはじめとする商品化へのステップにおいて優位であるべきはずだったが、いわば逆の展開になった理由は何なのだろう。

 前回までのコラムでは、一般論としての「医療機器事業化への心構え」に関して日米格差が大きいことを指摘してきた。その具体例を、この表が示しているように思えてならない。その意味からも、パルスオキシメータの事業化を思い立った人物あるいは組織の考え方がすばらしいといえる。こういう商品化企画こそ、真の「開発力」といえるもので、パルスオキシメータを有用な医療機器として根付かせた事実が如実にその根拠を表現している。