イラスト:ニシハラダイタロウ
イラスト:ニシハラダイタロウ
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 ときどき、すごい発明やアイデアに出会うことがある。長年この仕事をしていると、それこそ、腰が抜けると思うくらいのすごい発明があるものだ。

 ある研究所で出会った研究者のことだ。特殊な材料を製造するのに、それまで100日くらいかかるところを、たったの1日で済むようになったと言うのである。しかも、様々な組成の材料を、同時並行的に作ることも可能な装置は、非常にシンプルで比較的安いコストで作ることが可能だと言う。

 私は、この研究者の飛び抜けた発想力と構想力、そして何と言っても、それまで誰も気付かなかった新しい理論を発見したことを聞き、本当に腰が抜けるほど驚いた。まさに大発明なのである。

 その後、私はその研究機関を幾度か訪問するようになったのだが、しばらくすると、あることに気が付いた。それは、この研究者に対する評価も含め、研究所の人たちが、この大発明に対する認識というか理解度が、極めて低いということだ。それは、あきれるほどと言っていいくらい、周囲の人たちはこの発明に無関心で、当然、研究所を挙げて支援しようとは考えていないのだ。

 研究所のトップにお会いして話もしたが、残念ながら、評価はおろか、そもそもこの発明のすごさを理解していないから仕方がない。結果、発明者は文字通りの「孤軍奮闘」、研究者自身もそのあたりの空気を感じていて、半ば諦めたように「まあ、分かる人がいないので、私にはどうしようもありません」と笑うばかりである。

 帰り道、この素晴らしい発明に触れた興奮と、その逆の、割り切れない気持ちとが入り混じり、とても複雑な心境になってしまった。一体、どうしてこのようなことが起こるのか、なぜ、理解することができないのか、不思議でたまらない。