「君、やる気があるのか!」――。部下を大声で叱る上司がいる。私はそれを聞くたびに小さな声で言ってしまう。「やり甲斐がないだけさ」と…。

 そうではないか、やる気がないのは、やっても嬉しくないからだ。何かをしても結果が嬉しくないことが分かったら、やる気の出るわけがない。逆に、何かをして、その結果が嬉しいと分かれば、人間は嬉々として働く。給料が上がろうが下がろう(下がるのは困るかも知れない)が、嬉しいのが一番のご褒美だ。

 辞書で調べると、かい(甲斐)とは、行動の結果として現れるしるしとある。しるしとは証(あかし)でもある。証とは、事柄が確かである拠り所を明らかにすることで、それは、努力した結果「我慢した甲斐があった」と言うように、嬉しい結果になれば、甲斐が満たされた、あるいは証明されたということである。だから、やる気がないということは、やっても嬉しくないから、やり甲斐が見えないのである

 また、これも辞書によれば、甲斐(かい、がい)とは、期待できる値打ちとも書いてある。それは「生きている甲斐がない」と言うように、人間が期待する精神的な価値とも言える。哲学的な話になってしまうが、実は、開発を進めるうえで一番大切なモチベーションが、この甲斐なのだ。いや、大切と言うより、絶対条件と言ってもいいかも知れない。

 周りをよく見れば分かる。甲斐を持つ者持たぬ者、そこを見れば見るほど、開発が上手く行くか行かないか、分かるのだ。“かい”説しよう。(これをシャレと書かねばならぬ、この気持ち、分かってくれまいか)

 冗談はさて置き、この辞書によれば、甲斐性とは、物事をやり遂げようとする気力、根性であると書いてある。また、働きがあって頼もしい気性とも書いてある。要するに、甲斐性がある者とは、前向きな信念を持つ者だ。

 この前向きな信念が、開発を進めるうえで絶対に欠かせないモチベーションなのである。だってそうだろう。逆に、後ろ向きな気持ちで開発することを想像すればいい。「ああ、この商品を買ってくれるお客様はきっと悲しむに違いない」。あるいは、「さあ、安かろう悪かろうを作ろう」と考えながら開発する者がいるだろうか。