小惑星探査機「はやぶさ2」の企画が立ち上がった2006年当時、周囲の目は必ずしも好意的ではなかった。むしろ冷たかったといってよい。2005年11月に行われた初代「はやぶさ」による小惑星「イトカワ」へのタッチダウンは、一般の人々の間にも熱狂的な反響を引き起こしていた。が、まだ「あれは一部の好き者、マニアが騒いでいるだけだ」という見方が強かった。はやぶさが引き起こした熱狂は、日本の宇宙探査にとってこそ未曾有の規模だったが、社会の中ではまだまだごく小さな嵐だったのである。

 そして、はやぶさ2は構想検討当初から、様々な障害に突き当たる。きびしい予算状況の中、予算を獲得すること自体も難しかったが、それにも増して大きな問題となったのは意外なことにサイエンス、つまり科学の関係者の側からの慎重論だった。

工学と理学の意識の隔たり

川口 とにかく強調しなくてはいけないと思うのですけれど、宇宙探査という事業はまず、エンジニアリング、つまり工学が引っ張ってきたということです。サイエンス、すなわち科学じゃないんです。

――確かに日本の宇宙開発は工学者である糸川英夫博士のペンシルロケットから始まります。東京大学・生産技術研究所の糸川研究室が始めたロケット研究に、電離層*1を研究する理学の研究者が「観測装置を超高空に打ち上げることはできないか」と乗ってきたという経緯がありますね。

川口 それだけではないです。1992年に日米共同で打ち上げた人工衛星「ジオテイル」(1992年打ち上げ、図1の左)は、地球が太陽と反対方向に長くたなびかせている“磁気圏の尾”を観測する衛星でした。月スイングバイ*2を使って軌道の遠地点高度を変えて、磁気圏の様々な部位を通過し、観測する画期的な衛星でしたが、そのような軌道を立案し、実行可能にしたのは工学研究者です。中心となったのは上杉邦憲先生ですね。
 あるいは、1997年に「M-Vロケット」初号機で打ち上げた工学実験衛星「はるか」(図1の右)は、軌道上で大きなパラボラアンテナを展開し、宇宙電波望遠鏡として遠方の銀河の観測を行いました。これも天文学者の発案ではなく、巨大で精密な構造物を宇宙で展開しようという工学側の研究から始まっています。衛星開発の責任者は、工学の廣澤春任先生でした。

*1 電離層 大気の上層部にある電気を帯びた空気の層のこと。

*2 月スイングバイ 月の引力と公転速度を利用して人工衛星や探査機を加速させながら、月の引力で人工衛星の軌道を切り替える手法。

図1●ロケットに搭載される磁気圏尾部観測衛星「ジオテイル」(左)と、大型アンテナ展開試験中の電波天文衛星「はるか」(右)
画像:JAXA
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