この連載では、ココロエンジンの生みの親で、同社 健康・環境システム事業本部 副本部長 兼 商品革新センター 所長の阪本実雄氏が、ココロを備えた家電に至った思いや、ココロある家電の将来像などをさまざまな角度から書き記していく。
一大イベントは、なぜ姿を消した
家に新しい家電が届くのを今か今かと待ち構えていた、あのような気持ちを抱かなくなってどれくらいになるだろうか。
昭和30年代前半生まれの子供たちは家庭に家電がやって来た日のことを少なからず覚えているだろう。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のワンシーンのように、ワクワクしたはずだ。
私は子供の頃はご近所のおばさんに挨拶ができず、親に叱られてばかりだった。今でこそそうではないが、子供時代は人見知りで、どうしようもないくらい外では声が出ない子供だった。
私の記憶に残っているのは、幼稚園のころだから前回の東京五輪よりも前だ。その日は幼稚園を休んで、「それ」を待っていた。電気冷蔵庫である。当時の我が家は氷を入れて冷やすタイプの冷蔵庫だった。幼い私は、氷屋さんを呼び止めて氷を運んでもらうのが役目だった。
話すのが苦手な子供時代は、氷屋さんに声を掛けるのが嫌だった。新しい電気冷蔵庫が届くと、明日からその仕事がなくなる。それは私にとって大きなイベントだった。絶対に冷蔵庫が箱から出され、設置されるところを見たい。そう思ったから幼稚園を休んだ。私を悩ましてきた氷を入れる冷蔵庫からいつの間にか電気冷蔵庫が入れ替わっているのは許せなかった。
家に届いた新しい電気冷蔵庫のトビラを、開けては閉め、開けては閉め、何度も繰り返して親に叱られた。あの電気冷蔵庫は、長いこと我が家の台所の主役だった。新しいモノ好きの父親だったので、その後もテレビ、テープレコーダーが次々と家にやってきた。もちろん、その中にはシャープの電卓もあった。
いずれも、一大イベントである。テープレコーダーでは録音した自分の声を聞いて、「故障しているから、持って返って」と電気屋さんに言ったらしい。身体を通さない自分の声を聞く体験が初めてだったのだ。
昔を振り返ったのは、古き良き時代のノスタルジーを感じたいがためではない。今の口惜しさがあるからである。