研究成果だけでは経済は活性化しない

 以上を踏まえると、国の関与する共同研究プロジェクトが経済活性化に寄与しない理由が分かってくる。共同研究プロジェクトは、ひたすら「研究」をしている。図6の底がつながっていない水槽、この片方に水を注ぎ入れる行為に専念しているのである。二つの水槽をつなぐ行為には、共同研究プロジェクトは関与しない。だからいくら水位の差が大きくなっても、水は流れない。すなわち利潤(経済的価値)は生まれない。

 研究によって「知」は積み上がる。しかしその研究成果の市場への「媒介」は行われない。これでは研究と経済は結びつかない。市場への「媒介」、すなわち新製品・新サービスの市場への投入や新製法の実施、これらは本来、営利企業の仕事であって、国が関与するプロジェクトの任務ではない。確かに一理はある。けれどもそれなら、研究成果を市場に媒介しようとする企業家を発掘しなければならない。あるいは企業家が活躍しやすい環境を創り出さなければならない。そうしないかぎり、共同研究プロジェクトは経済の活性化に貢献しない。

 そもそも日本の電子産業が衰退している原因は、「知」の不足だろうか。研究成果が足りないことだろうか。そうではないだろう。「知」を市場に「媒介」しようとする企業家の不足、あるいは企業家のための環境の貧困、こちらのほうが、はるかに深刻なはずだ。

 ここで先に紹介した「優秀企業における目的と手段の逆説」が関係してくる。顧客への価値提供を通じての社会貢献、これがないと利益を上げ続けることはできない[新原、『日本の優秀企業研究』]。顧客に提供したい価値、つまり市場に投入したい新製品や新サービス、これを持っていないと、利益を上げられないということである。経済活性化に第一に必要なのは、顧客に問うべき新製品や新サービスである。それは広義にはマーケティングの問題でもある。

 顧客に問いたい新製品・新サービスのビジョンは持っている。けれども手持ちの技術と知識では、それを実現できない。この状況があって、はじめて研究の出番がある。「知」が不足していて、作りたいものが作れない。だからそれを作れるようにするために研究する。順序は、こうだろう。

 実はトランジスタもこの順序で開発された。トランジスタは研究成果の応用として開発されたものではない。1930年代のAT&T社と傘下のベル研究所は、米国全土を覆う高性能電話網の構築を目指していた。しかし真空管では構築できない。だから真空管に代わるデバイスが欲しい。しかしその実現の前に困難な問題が立ちふさがる。それを克服するためなら、どんな基礎研究もいとわない。こういう姿勢からトランジスタは生まれた[西村、『産学連携』、日経BP社、2003年、pp.235-236]。

 こういう課題解決のための知の創造[ギボンスほか、『現代社会と知の創造――モード論とは何か』、丸善、1997年]を、総合科学技術会議や各研究助成機関が意識していないわけではない。「課題解決」は、近年の日本の科学技術政策のキーワードと言っていいほどだ。けれども現実には、少なくとも半導体分野では、受け手のない研究成果が積み上がっている。そうなるだけの構造的理由がある(後述)。

電子情報通信産業は国との関係が深い

 それにしても、半導体をはじめとする電子情報通信分野では、なぜ共同研究プロジェクトが林立するのだろうか。言い換えれば、なぜこれほどまでに国が関与するのか。そこには歴史的背景がある。

 電子情報通信産業は19世紀に、電信と電話から始まった。いずれも米国が先頭を切る。その米国では、電信も電話も民間企業による営利事業だった。しかし日本では電信も電話も国営事業として始まる。明治政府という国家権力が事業を計画し、実行していった [吉見ほか、『メディアとしての電話』、弘文堂、1992年、 p.225]。

 電信、電話、放送が、第2次世界大戦以前(戦前)の電子情報通信産業のほとんどである。いずれも日本では、国営ないしは国営に近い形で事業が営まれる。民間企業の役割は、通信機器や放送機器を国または国に近い公共事業体、すなわち日本電信電話公社や日本放送協会(NHK)などに納入することである。各企業の顧客は、ほとんど常に国または公共事業体だった。納入すべき機器の仕様や数量は、国などから指示される。

 この国と企業の関係のもとでは、「何を作るか」は国から指示され、企業はそれを「いかに作るか」に専念する。電子情報通信分野の日本企業は「いかに作るか」、すなわち製造技術への関心が高い。「何を作るか」を自ら言い出すことは一般に苦手である。日本企業のこの性格は、電子情報通信産業誕生以来の国と企業の関係に根差しているのだろう。

 戦前の電子情報通信分野で、民間企業が消費者と接したのはラジオ受信機である。ラジオとその部品、特に真空管、これらの製造販売が、民間企業にとっての自主的な事業だった。

 第2次世界大戦後(戦後)も、電子情報通信産業の国依存は急には変わらない。放送事業は今も基本的には政府主導である。近年で言えば、地上デジタル放送の規格も時期も、政府主導で決定された。通信も1985年までは事実上、国営だった。

 ただし戦後には、電子産業のなかでコンピュータの存在感がしだいに大きくなる。コンピュータの場合は、メーカーも顧客も民間企業である。国は主たる顧客ではない。これは日本の電子産業にとって画期的だった。