「知」を市場に「媒介」しないと利潤は生まれない

 利潤を生み出すためには、「未来価値を他者より先に知る」だけでは十分ではない。未来の価値体系を、現在価値で成立している市場に「媒介」しなければならない [岩井、『ヴェニスの商人の資本論』、p.50]。安く仕入れただけでは金儲けはできない。高く売る必要がある。安く仕入れる行為と高く売る行為、利潤を得るためには、この二つが必要だ。

 再度、水槽のたとえを持ち出す。二つの水槽の水位には差がある。けれども水槽はつながっていない、こういう場合を考えよう(図6)。水位に差があるのに水は流れない(利潤は生まれない)。この二つの水槽をパイプでつなぐ行為、これが「媒介」である。つなげば水流が起こる(図7)。二つの水槽の水位に差を創る行為と、二つの水槽をパイプでつなぐ行為、この両方の行為がないと、水は流れない。

図6 二つの水槽の水位に差があっても、つながっていなければ水は流れない
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図7 二つの水槽をパイプでつなぐと水が流れ、仕事をさせることができる(利益が得られる)
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 紀伊國屋文左衛門は、紀州から江戸へみかんを運んで巨利を得た。産地・紀州と消費地・江戸で、みかんの値段に大差があることを知ったからである。このとき紀州下津港は風波に見舞われて航路が途絶え、みかんを運べなくなっていた。紀州ではみかんが余って値が下がる。江戸はみかんに飢え、値が上がる。これを知った文左衛門は嵐のなか、決死の覚悟でみかんを江戸に運ぶ。これが文左衛門に巨利をもたらした。

 地域的に離れた二つの共同体のあいだの価値体系の差を「知る」という行為が一つある。それを知って、資金を調達し、商品を仕入れ、貿易船を仕立て、荒海に乗り出すという行為、これがもう一つある。これが「媒介」である。「媒介」を実行するのが「企業家(entrepreneur)」だ。利潤を生み出すためには、「知」と「企業家」、この二つが必要である。どちらか一方が欠ければ利潤は生じない。

 研究開発の場合はどうなるか。未来と現在の価格体系の差異を「媒介」して企業が利潤をあげるためには、未来の価値体系を他者より先に知る「知」が必要だ。しかしそれだけでは十分ではない。未来という名の遠隔地の価値体系を、現在価値で成立している市場に「媒介」しなければならない。たとえば製品という形に未来の価値体系を具現化し、顧客が市場で買える状態にする必要がある。これを遂行する経済主体が「企業家」である。

 なおフランス語起源の「entrepreneur」の訳語として、私は「企業家」を用いる。「起業家」では本来の意味を限定しすぎるという意見に従っている。フランス語entrepreneurの「entre」の原義は英語の「between」であり、「preneur」は英語の「taker」に当たる。直訳すればentrepreneurとは「間をとる人」であり、まさに「媒介」する人である。