またまた1980年代から話を始める。この時期の米国では、「企業の研究開発における一つの時代」、すなわち「中央研究所の時代」、が終わろうとしていた[ローゼンブルームほか、『中央研究所の時代の終焉』、日経BP社、1998年、p.10]。米国大企業の中央研究所は、かつては非常に基礎的な研究も手掛けて大きな研究業績を上げ、多数のノーベル賞受賞者を輩出した。

 日本企業の中央研究所は、エレクトロニクス分野では、AT&T社、IBM社、RCA社などの米国企業の中央研究所を長くモデルにしてきた。しかし例えばAT&T社は1985年の分割の後、別の事業形態に変身する。この通信自由化に伴い、傘下のベル研究所(Bell Laboratories)の組織も内容も大きく変わった。あるいはIBM社は事業をソリューションにシフトすると同時に、基礎物理への研究投資を事実上やめる。さらにRCA社は、会社そのものがなくなってしまった。これら米国大企業の研究所が基礎研究にいそしんだのは、遠い昔の夢となる。

バブル期の基礎研究ブームとその崩壊

 日本の状況は対照的である。1980年代の後半、日本はバブル経済の繁栄に浮かれる。そして産業界を基礎研究ブームが覆う。「キャッチアップは終わった、さあ、これからは基礎研究だ」。相当数の日本企業が基礎研究所を新設する。あるいは既存研究所における基礎研究を拡大する。

 おごった産業界はうそぶいた。「大学頼むに足らず。ノーベル賞につながるような基礎研究も企業が担う」。中央研究所の縮小に走る欧米企業は、このとき反面教師だった。「研究から手を抜くようになっては、欧米の一流企業もおしまいだね。これからは日本の時代だよ」。

 おごれるもの久しからず。バブル経済崩壊とともに基礎研究ブームも泡と消える。それどころか研究所そのものの縮小・再編に日本企業も励むに至る。再び欧米が教師となる。周回遅れを先頭と錯覚、そういうことだったようである。

科学技術への公的資金投入、日本経済の活性化につながらず

 バブル経済崩壊後の経済低迷が続くなか、1995年に科学技術基本法が制定された。この法律に基づき、科学技術基本計画が1996年にスタートする。以後毎年、4~5兆円の公的資金が科学技術分野に投入されてきた(図1)。その目的のすべてが経済活性化ではないが、経済への波及効果も大いに期待されている。しかし科学技術への公的資金投入が日本経済を活性化したという徴候は見出しがたい。

図1 科学技術関係予算の推移
出典:総合科学技術会議「最近の科学技術予算の推移」
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 1990年代の後半以後、半導体分野では数え切れないほどの産学官連携の共同研究プロジェクトが実施された(図2)。そこには公的資金が投入されている。しかし、これらのプロジェクトが実施されていた時期に、日本の半導体産業は、ひたすら衰退への道を歩む。共同研究プロジェクトの実施は、日本の半導体産業をまったく活性化しなかった[湯之上、『日本型モノづくりの敗北』、文藝春秋社、2013年]。

 経済活性化を求めての科学技術への公的資金投入は、反省すべき時期にきている。私はそう考える。これは私自身の反省でもある。上記の半導体共同研究プロジェクトの計画や、その評価に、私自身も参加してきたからである。