百年史
百年史
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 医療機器の組合組織である「東京医療機器協会」が誕生したのは、おおよそ1世紀も前のことだ。1911年設立なので、実際には、2011年が100周年だったが、震災の影響で記念行事を2012年に繰り越した経緯がある。その一環として発刊された記念誌が『百年史』で、A4版、350ページに及ぶ豪華本である。これを機に協会名も「日本医療機器協会」と改称されたため、名実ともに我が国における医療機器産業団体としての中枢組織となった。

『百年史』に見る医療機器の進展

 一口に百年とはいえ、「薬事法」の歴史よりはるか以前からの業績の積み重ねは大きい。これまで、医療機器業界を支えてきた先人たちの「開拓精神」が並大抵でなかったことは、ページの端ばしから読み取れる。創立以前の医療機器関連の歴史的な記述も多い。

 1948年に薬事法が初めて制定された際、「用具」という名で規制の対象となったのが医療機器だ。しかし、制定以来、「薬品の副作用を取り締まる」ことを主眼にしている薬事法で、展開の著しい医療機器を規制するには無理な時代に突入した、といっていいだろう。

 この百年史を締めくくる一章として、「“医療機器法”の成立に向けて」が掲載されている。近未来の業界発展のためには、医療機器に適合した法の制定が必須との主旨だ。

 医療機器と医薬品は、多くの局面で性格が異なる。医療機器の使用者は専門家であり、医薬品の取り扱いとは全く別ものである。機器そのものの改良は日常茶飯事であり、仕様変更・設計変更が容易でなければ、諸外国に遅れを取る。

 長期間にわたる医療機器開発の結果、現在、30万を超える機種が活躍し、2万種に満たない医薬品とは比較にならない。この100年史でも明らかなように、医療や医療機器の展開の速さに対応するには、取り締まる法律側も新しい考え方を入れるべき時代を迎えている。

存在しないことこそ“異常”

 人間の慣れというのは、ときとして「日常の不自由」さえ忘れさせてしまう危険性をはらむ。謙虚に初心にかえりさえすれば、「医療機器法」はあって当然だと考えられるが、なくても「似たもので代用させればことがすむ」と無意識に思い込んでいる人も多い。

 だが、こうしたマンネリ化が危険なのだ。それに気づくには、原点に戻ってみる、あるいは他と比べてみればよい。

 前回の韓国の例(関連記事)をはじめとして、国際的に見てどうなのかという視点が手っ取り早い。大切なのは、我が国独自の法律として、「医療機器法」が存在しなかったことこそ「異常」、という視点欠如の認識が必要だ。

業界発展のための必然策

 上記、日本医療機器協会の理事長・今村清氏は、2012年年頭の『日本医科器械新聞』において、“「医療機器法」の制定を旗印に業界発展へ”という決意文を掲載している。

 その趣旨に掲げてあるのが独法としての「医療機器法」の必要性だ。それによって、日本独自の医療機器を迅速に開発し、国際的競争力を強化することが可能、と説いている。今、日本の医療機器産業を再生するためには、法そのものを構築するべき、というわけだ。

 その一文に代表されるように、業界は新たな時代に向けた法整備を切望している。というより、現時点で「存在しないことのほうが異常」な事態から早く脱却したい、というのが最小限の要望といえよう。