1970年9月、米IBM社は同社汎用コンピュータの最新鋭機「システム/370モデル145」のメイン・メモリ(主記憶)に、半導体メモリを採用すると発表した。半導体業界の人々には、この発表は「神の再臨を告げるトランペットのように聞こえただろう」[「米IBM社 ICメモリーに全力投球」、『日経エレクトロニクス』、1970年12月1日号(特別情報版)、pp.38-39(原典はElectronics,Oct. 12,1970)]。半導体集積回路産業に、コンピュータ・メモリという大市場が、こうして出現する。

 当時のコンピュータのメイン・メモリには、主に磁気コア・メモリが使われていた。これが1970年代になって、半導体メモリで置き換えられていく。

DRAMが主役となり、ムーアの法則に従って進歩

 半導体メモリのなかでも、MOS型のDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ)が、メイン・メモリの主役となり、大市場を形成する。この市場を最初に制したのは、米国の半導体メーカーである。1970年代は米国のシェアが最大だ(図1)。

図1 DRAMの地域別シェア推移
出典:湯之上、「エルピーダとは一体何だったのか」、JBpress、2012年4月5日(原データはデータクエスト)
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 米Intel社が世に出した1Kビットの「1103」が事実上、最初のDRAM製品と言えよう。以後しばらくは、平均すると3年ごとに4倍のビット数のDRAMが次々に世代交代して市場を制した。1Kビット時代の覇者は当然Intel社である。4Kビットでは米Texas Instruments社、16Kビットでは米Mostek社が、DRAMのトップ・サプライヤーとなる。

 3年ごとに記憶容量4倍のDRAMが登場することによって、DRAMはムーアの法則を可視化し、世に広めた。ムーアの法則の原型を確認しておこう。

 後にIntel社の創業者の一人となるGordon E. Moore氏は、集積回路の集積密度の増加傾向を経験的に整理し、1965年に発表した[Moore,“Cramming More Components onto Integrated Circuits,” Electronics,Apr. 15,1965,pp.114-117]。その後やや修正され、集積回路の1チップに載る素子数は18カ月ごとに2倍になると表現された。これがムーアの法則である。18カ月に2倍は3年で4倍に相当する。例えばメモリなら、1チップのビット数が3年で4倍の割合で増えていく。これは長く当てはまり、ムーアの法則の権威を高めた。3年で4倍は10年で100倍である。それが30年以上続いている。30年なら100万倍だ。