コンピュータ市場では、汎用コンピュータ(メインフレーム)からパーソナル・コンピュータ(パソコン)への転換が、1985年前後に起こる。この転換は日本の半導体事業に大きな影響を与えた。この半導体の問題については、連載進行のなかで、後に詳しく考える。

 汎用コンピュータからパソコンへの転換が日本市場で起こるのは1990年代前半である(図1)。世界市場における転換よりは遅かった。日本では世界標準とは別の、日本独特のパソコン市場(一種の「鎖国」市場)が形成されたからである。

図1 汎用コンピュータとパソコンの生産金額推移。パソコンの生産単価も合わせて示す
資料:経済産業省機械統計
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 日本のコンピュータ事業は一般に、日本固有の性格が強い。テレビなどの民生機器と違って、コンピュータ関連製品の輸出は今も昔も大きくない。2000年以後、貿易収支は赤字である。国内生産も激減しており、2000年以後の退潮傾向はコンピュータ分野でも著しい(図2)。

図2 コンピュータ(電子計算機および関連装置)の生産・輸出・輸入の年次推移
資料:経済産業省機械統計,財務省貿易統計
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日本語ワードプロセッサが1978年に登場

 日本特有のコンピュータ事業、その象徴的存在が、日本語ワードプロセッサ(ワープロ)である。1978年、東芝が初の日本語ワードプロセッサ「JW-10」を発表する。価格は630万円。かな文字をキーボードから入力し、漢字かな交じりの文章に変換する。すなわち「かな漢字変換」機能を持ったシステムだった。この「日本語ワードプロセッサ」のインパクトは大きい。「日本語の文章を作成する」という行為が、「紙に手書きで文字を書く」という行為から離れるきっかけとなる。

 もちろん和文タイプライターは早くから存在していた。しかしこれは、1000以上の文字が並んだ盤面から、文字を一つずつ選ぶ仕組みである。熟練オペレータによる操作が必要な、複雑な機械だった。また文章作成機というより、完成した原稿を入力し、印刷する装置という性格のものである。

 ただし日本語ワープロを、文章作成装置としてではなく、完成原稿の清書装置として用いる使い方は、かなり後まで残る。キーボードから、いかに速く正確に日本語を入力するか、そのためのキーボードはどうあるべきか、こういった問題が長く議論の対象となり、さまざまな文字配列のキーボードが市場で競い合った。

 けれども次第に、次のような認識が結果として広まる。「手書き原稿を清書するより、初めからワープロで文章を作成した方が、結局は速い。文章作成の速さを決めるのは、キーボードからの入力速度ではなく、文章を創造する頭脳だ」。キーボードは普通の欧文配列が主流となる。多くの日本人がローマ字で日本語を入力している。それで困るという話は、今ではほとんど聞かれない。