今回紹介する書籍
書名:中国社会各階層分析
著者:梁暁声
出版社:文化芸術出版社
出版時期:2011年1月

 今月取り上げているのは『中国社会各階層分析』。中国社会を9階層に分け、それぞれについて解説した書籍である。今週は「中産階級層」に言及した章と「買弁(外国人と中国の間に入って儲ける業者。侮蔑的な意味合いを持つ)」を解説した章を取り上げたい。

 まずは、「中産階級層」に関する記述から。大辞林によれば、日本語の「中産階級」は「有産階級(資本家など)と無産階級(労働者など)の中間の社会層」となっており、大変幅広い。

 本書で扱っている中産階級はこの記述よりもやや狭く、「資本家にはなれていないがまずまず豊かな層」程度の定義づけである。本書では、資本家は、1978年の改革開放政策の開始直後の、法や社会的ルールが未整備な状態で富を得た層の2代目という取り方をしている。それに比べ中産階級は比較的新しい階層で、自分の代で豊かになったものを指すのだという。

 それゆえ入れ替わりも激しく、中産階級層からは多くの破産者が出る一方で新しく中産階級層に入ってくるもの多い。また、他国の中産階級の人々は自分たちがこの後「資産家」になれる可能性は低いと考えているが、中国の中産階級はまだ今後自分たちも資産家になれると考えているそうである。

 しかし、この記述は1997年現在のものであるため、現在でもこのような分析が適当かどうかは再度考察すべきであろう。このように本書が最初に書かれた時点ではまだ中国社会も高度成長の初期であり(WTO加盟が2001年)、10数年後にGDP(国内総生産)で世界2位になるということを実感として予測していた人も少なかったのではないか。

 「買弁」という存在もまた法整備が未成熟な時代だからこそ活躍できた、と本書では分析している。本書作者は「買弁」という用語を使うべきかどうか、という時点ですでに迷いがあったと告白している。

 毛沢東の言う「買弁」は「外国人の手先となって国の利益を脅かすもの」という見方であったが、本書ではその見方は採らない。外国人の代理となって働く彼らがいたからこそ、外国資本などを受け入れ発展することができたと考えているからだ。

 しかし、本書では彼らの存在意義を「もう終わったもの」としている。対外貿易の経験がなく、様々な法整備が遅れていた中国では、外国人にとっても自分たちの手足となって働く「買弁」を使う利点があったが、現在のように法整備やさまざまなルール作りが進み、中国の状況が国際標準に近づくと、「買弁」という微妙な存在を使って商取引をする必要がなくなるというのである。

 そのように考えると、中国が計画経済から現在のような経済体制へと移行していく間にさまざまな業種などが消えていったが、買弁というのもそのような端境期の一種のあだ花であったのだろう。外国との商取引の間に立つ人間が侮蔑的に扱われるなどということは現在ではないであろうし、またあるべきではないと考えられる。