まさに舛岡先生と出会ったことで、私の人生も変わったわけで、舛岡先生には感謝し尽せない思いです。舛岡先生と東芝でご一緒した期間は短かったのですが、ご指導頂いたことで、今でもよく覚えていること、そして、年を取った今だからわかることがたくさんあります。

 例えば、「ゼロから1を生み出す人は、1から10,100,1000を作る人より偉いのだ」というのが舛岡先生の口癖だった(特に飲み会で)と記憶しています。それだけ、まったく何もないところから、新しいものを生み出すのは難しい。

 また、新人の育成もとてもユニークでした。ともすると、新人教育は雑用と思われがちですが、舛岡先生の場合は、正反対。新人のメンターとして日々の仕事が最も忙しい、部内のエースの研究者をアサインしました。そして、新人に自由な時間を与え、最も難しい研究をやらせました。

 新人は当然のことながら、その研究分野の知識は少ないのですが、潜在能力は最もある。従って、新人には雑用をさせずに、最も優秀な研究者の指導の下に、一番チャレンジングな研究をさせる、ということです。

 舛岡先生は、「できるやつは新人の時に、世界トップの国際会議に論文を通す。ダメなやつは、何年たっても通らない」と言われ、私も必死になって研究をしたことを覚えています。

 私も何とか、新人の時に考えた多値メモリの研究成果を、集積回路のトップ学会であるSymposium on VLSI Circuitsで発表することができました。そしてこの、1つのメモリセルに複数のデータを記憶する多値技術は、フラッシュメモリの大容量化に大きく貢献することになります。

 舛岡先生の功績を称える動きは日本だけに留まりません。IEEE(米国電子電気工学会)の機関誌Solid-State Circuits Magazine秋号は、“Fujio Masuoka: NAND Flash Memory:
The Lifetime Pursuit of Original Ideas.” (リンク先)と題して、舛岡先生を特集しています。私も「NAND Flash Application and Solution(リンク先)」と、フラッシュメモリの応用と将来技術に関する記事を書きました。Solid-State Circuits Magazineで日本人の技術者が大々的に取り上げられることはとても稀で、日本人の手でフラッシュメモリが生まれたことが高く評価されたことに、大変誇らしく感じました。