さて、自動車考。「力で人は機械に及ばない」が第1回。今回は俊敏性である。雄の誇りは力と俊敏性。確かに男の子は落ち着きがない。私もそんな一人だった。20世紀の自動車、マニュアル・トランスミッションが当たり前の時代。エンストは恥。速やかにギア・チェンジをして、クラッチをつなぐことが上手な運転の象徴であった。いやいや、男の子は峠でパワー・スライドを楽しみ、広場でスピン・ターンを決めていた。アクセル、ブレーキ、クラッチ、そしてハンドルを駆使して車を制御下におくことが自動車乗りの愉悦であった。それには、マニュアルだけでなく、操舵は前輪、駆動が後輪のFR車が最低必要条件であった。

 憧れのFRは20世紀。今は21世紀。主力はFF車。操舵も駆動も前輪頼み。乾燥アスファルトではスライドしない幅広タイヤ、それに足踏みや電動ブレーキ。クラッチは、クラッチは見当たらない。パワー・スライドもスピン・ターンも夢のまた夢。男の技は見せられない。

 瞬間。瞬き。まばたきの時間。約0.1秒。人にとっては速さを象徴する言葉。実は神経の反応時間である。自動車教習所では、危険の認知に0.1秒、判断に0.1秒、操作に0.1秒。合わせて0.3秒の遅れが存在するので車間をとれと教えられる。300ミリ秒。悠長なことである。電子制御は、ミリ秒単位。男の子の100倍以上の速さでレーダーやカメラなどで危険を認知し、32ビットCPUで判断し、電動で操作している。もう機械の方が優秀である。