既存製品の顧客の声は、むしろ阻害要因に

 では、すり合わせ能力は、どのようにイノベーションを妨げる硬直性に転化するのでしょうか。まず、それを考えてみます。

 企業が顧客に新しい価値を提供するには、秀逸なコンセプトが不可欠です。ウォークマンの場合、「持ち運びできる携帯型音楽プレーヤー」がそれに相当します。全ては、このようなコンセプトを作り上げることから始まるわけです。

 そのために、多くの企業は市場調査などの手法を駆使して、顧客の声が反映されたコンセプトを生み出そうとします。しかし、顧客の声に軸足を置くアプローチには限界があります。顧客は、それぞれ独自の体験や価値観、こだわりを持ち、顧客の声にはそれらに根差したバイアスがかかっているからです。

 当然、既に世に出ている製品やサービスの改良点や改善点を探るのに、既存の顧客から意見を聞くことは有効でしょう。しかし、ウォークマンのような新しい市場を創造する際に、顧客の声は有効でしょうか。米Ford Motor社の創業者で、近代の自動車産業を創造したHenry Ford氏は、「顧客に何が欲しいかと聞けば、彼らは足の速い馬が欲しいと答えるだろう」と言ったと伝えられています。馬車に乗っている顧客の声をいくら聞いても、そこから自動車という新市場を生み出すのに必要なコンセプトは出てこないというわけです。

良かれと思って反対

 新市場を創造する上で、既存製品の主な顧客の声は、むしろ阻害要因になることすらあります。前出のChristensen氏は著書『イノベーションのジレンマ』(翔泳社、2001年、原題は『The Innovator's Dilemma』)の中で、顧客の声に過剰適応し、それにとらわれてしまうために、結果として新市場を開拓できない“優良企業”の姿を描きました。既存顧客は、企業を既存市場に縛り付ける存在でもあるのです。コンセプトが革新的であればあるほど、既存顧客はその意義と価値を理解できず、当初は新しいコンセプトに否定的な評価を下す傾向があります。企業内の主流部門は既存顧客の声を尊重しますから、結果として革新的なコンセプトに反対することになります。

 重要な点は、既存顧客のみならず企業の主流部門も新市場を創造するような革新的なコンセプトを理解できず反対するということです。もちろん反対する人たちは、悪気があるわけではありません。彼らは、価値を理解できずに良かれと思って反対しているのです。従来と異なる新しい価値を持ったものは、例外なく古い価値に固執する顧客と主流部門の反対に遭うのです。