価値次元の転換ができない硬直性

 イノベーションという言葉は、現在最も氾濫している言葉の1つでしょう。研究者は、イノベーションの分析に有効な視点を探索するために、さまざまな類型化を試みてきました。社会科学であろうと自然科学であろうと、全ての学問は多様な現象を適切に類型化することが出発点になるからです。イノベーションの場合は、「ラディカル・イノベーション」や「インクリメンタル・イノベーション」、「プロダクト・イノベーション」、「プロセス・イノベーション」など、さまざまな類型化が試みられてきました。

 これまでの類型化の中で最もイノベーションの本質に迫り、経営現象に関する説得力が高いと考えられるものは、米Harvard University教授のClayton Christensen氏や仏INSEAD教授のW. Chan Kim氏、Renée Mauborgne氏らが着目した「顧客価値の次元」という枠組みです。「製品やサービスなどのあらゆる財は顧客と市場に対して複数の価値次元を提供しており、どのような価値次元で構成されているのか」ということがその財を定義付けるという論です。

 例えば、薄型テレビが顧客に提供する価値は、画質に代表される性能や機能、デザイン、画面の薄さ、使い勝手、省エネルギ性能など複数の次元で構成されています。理髪店が提供するサービスの価値は、カットや洗髪、髭剃りの技術、カットまでの待ち時間、値段など、やはり複数の次元で構成されています。このように価値次元の中身は製品やサービスごとに異なりますが、消費財、生産財、サービスと財の種類が異なっていても同様の枠組みで考えることが可能です。

2種類のイノベーション

 このような視点に立つと、イノベーションは、既存の価値次元をさらに高度化・強化するタイプと、新しい価値次元を生み出して新市場を創出するタイプの2種類に類型化できます。前者のイノベーション、つまり既存の価値次元の延長で高度化・強化するものについては、すり合わせ能力が強みとして機能します。

 例えば、テレビの画質をフルHD(1920×1080画素)の4倍に増やす「4Kテレビ」や、機械の加工精度を高めるといった方向の技術革新は、既存の価値次元を追求する方向なので、これに反対する人はいません。このようなイノベーションにおけるすり合わせは、既存の価値次元に沿った組織の団結力と推進力を生み出すことから、日本企業に競争力をもたらします。現在優れた業績を上げている日本企業の多くは、このタイプのイノベーションによって収益を確保しています。第1回で紹介したダイキン工業のルームエアコン「うるさら7」も、通年エネルギ消費効率(APF:Annual Performance Factor)という既存の価値次元を高度化するタイプのイノベーションです。

 ところが、すり合わせ能力はイノベーションの阻害要因として作用する場合もあります。具体的には、価値次元を転換したり新たな価値次元を作り出したりすることで、前例のないコンセプトを生み出し、新市場の創出につなげるようなイノベーションでは阻害要因となります。新市場を創造したソニーの携帯型音楽プレーヤー「ウォークマン」は、このようなイノベーションの典型です。