「中国や韓国には真似できない」

 このような部門の枠を超えた横断的な開発体制について、ダイキン工業常務執行役員の岡田慎也氏に筆者が直接話を伺ったところ、同氏は「中国や韓国の企業には真似できない部門連携の姿」と語りました。中国や韓国では、開発部門と製造部門には厳然としたヒエラルキーがあり、両部門の間に大きな壁が存在しているので、特権的な地位にある開発部門のエンジニアが製造現場と協業することはほとんどあり得ないからです。同氏は中国や韓国の事情に精通していることから、このような表現が出てきたのでしょう。

 中国や韓国のような状況は、程度の差こそあれ欧米企業にも当てはまります。事実、欧米企業にとっても、日本メーカー流のコンカレント・エンジニアリングを模倣することは困難だったのです。欧米企業は、日本企業からコンカレント・エンジニアリングを学習し、形式上は上流工程と下流工程を重複させました。しかし、緊密できめ細やかな情報の共有が伴わないために、成果につながらなかったという研究が報告されています3)。コンカレント・エンジニアリングで成果を上げるためのすり合わせ能力が、日本に比べて十分ではなかったのです。

 欧米企業が日本流のコンカレント・エンジニアリングを模倣できなかった原因は、すり合わせ能力の源泉が、労働慣行や文化的要因など社会の深い部分に根差しているからです。例えば、日本メーカーの開発・製造現場は職務の守備範囲が広く、多くの部署を回るローテーション制度が労働慣行になっています。これが当たり前の社会は、職務が極度に専門化・細分化されている社会よりも、すり合わせ能力を発達させやすい環境だと考えられます。同様に、コミュニケーションが言語よりも文脈の共有に大きく依存する日本の社会では、「以心伝心」や「あうんの呼吸」と表現される能力を発達させる傾向があるでしょう。すなわち、すり合わせ能力の起源は日本社会の根幹にあると考えてよく、それは諸外国が模倣しにくい能力といってよさそうです。

相互信頼性が経済発展の根幹に

 類似した主張は、政治学でも展開されてきました。政治学者で米Johns Hopkins University教授のFrancis Fukuyama氏は、著書『「信」無くば立たず』(三笠書房、原題は『Trust:the Social Virtues and the Creation of Prosperity』)の中で、「日本は高信頼社会であり、日本社会の相互信頼性の高さが日本の経済発展の根幹にあった」と指摘しています。

 例えば、日本の自動車産業での系列取引が高い成果につながっている大きな理由は、完成車メーカーとサプライヤーとの相互信頼の高さにあったといわれます。このような主張は、日本の根本的な組織能力はすり合わせであるという見方と非常に整合性があります。相互の高い信頼関係はすり合わせを容易にしますし、すり合わせが深まれば深まるほど相互の信頼関係は一層強化されるという、相互促進的な関係を形成しているからです。

 このように、日本企業はすり合わせが強いという主張は、決して直観的に生まれたわけではありません。30年以上に及ぶ学術研究の中から見いだされ、徐々に確実なものとして受け入れられていったのです。