だからといって、ウエアラブルがダメだと主張するつもりはありません。むしろその反対です。1998年にはなくて、今あるものがあります。ウエアラブルを使う理由です。画面に没入する電車の乗客の真剣な表情を見ればわかります。みんな、いつも情報に触れたがっているのです。

 しかも、スマホが最終形とは言えない節もあります。何よりも危ない。そう、「歩きスマホ」というやつです。9月16日付けの日経電子版の記事によると、歩きながらスマホを使っている人が起こすトラブルは増加気味。「『歩く凶器』になりつつある」との意見まで出ています。

 ここにチャンスがあります。問題があって、ピッタリの答えがないわけですから。HMDや時計ばかりが正解とは限りません。アイデアは出し放題です。個人的には身につけないという選択肢もあるんじゃないかと夢想しています。例えば、目につくもの、手にするものすべてが情報にアクセスできるディスプレイになっている環境だったりとか。実際、近ごろ私はすっかり腕時計をしなくなりました。懐中時計ならぬ、懐中電話に取って代わられたわけです。メガネをコンタクトに替え、酔うと脱いでしまう自分は、何かを身にまとう行為自体、苦手なのかもしれませんが。

 いずれにしても、エンジニアの、日本メーカーの腕の見せ所です。「携帯電話から始まるウエララブル」時代の主役が、「iモード」かと思ったら「iPhone」だった悔しさを、今こそ晴らそうではありませんか。「やられたら、やり返す」です。倍返しです。iPhoneが携帯電話業界の勢力図をたった5年ほどで塗り替えてしまったように、正しい答えを見つければ、きっと世界が変わります。しかも誰かが回答を出さない限り、正解はいつまでも見つからないままかもしれません。何しろインカ帝国には車輪がなかったらしいですし。だからこそ、ちょっと手垢にまみれた一言で、この拙文を終わらせたいのです。「The best way to predict the future is to invent it(未来を予測する最善の方法は,自分で創り上げることだ)」と。

 あ、違う。そうじゃなかった。最後にもう一言、言わせてください。来る11月6日水曜日に、日経エレクトロニクスは「ウエアラブル・デバイス、テイクオフ!」と題したセミナーを開催します。ご興味のある方は、ぜひご参加ください。