以前、「もしもどんな『人の声』でも簡単に作れるようになったら」というテーマのエディターズ・ノートを書きました。今回もまた、「もしも~になったら」で、近未来を予想してみます。

 今回は、もしもテレビCMが個人化したら。ここで個人化というのは、パーソナライゼーション(personalization)、あるいはパーソナル化、テーラーメイド化という呼ぶ方もあるかもしれませんが、要するに、個人一人ひとりの好みや属性に合わせてきめ細かく機器の仕様やコンテンツ、サービスを変える、ということです。

 これまで通信の世界ではこの個人化が追求されてきました。始まりは、コンピュータの個人化でした。それまでのメインフレームや仕様を変えられないダム端末から、個人が所有し、好きなようにソフトウエアなどを使えるパーソナル・コンピュータ(PC)が登場したことです。そして一家に1台だった黒電話機は、一人1台の携帯電話機になりました。

 それらがつながるインターネットが普及すると、さまざまなコンテンツも個人化しました。音楽や動画映像のオンデマンド化が始まり、個人が作成した動画の投稿サイトも人気を博しました。さらには、「私」や「あなた」の好みやニーズに絞り込んだサービスやコンテンツの提供も始まりました。例えば、「あなたの読みたい本はこれですか?」、あるいは「この本を購入した人は、こうした本も購入しています」という、いわゆるレコメンド・サービスです。もっとも、最近はこうした“露骨”に推薦するという形よりもむしろ、視聴履歴などを基に、バナー広告や「関連情報」などをさりげなく変えて提示する「ターゲット広告」や「コンシェルジュ・サービス」が増えています。

 個人追跡型のバナー広告も本格的に目立ち始めました。ある言葉や製品、サービスを検索サイトで検索して調べると、いつのまにか全く別のサイトのWebページを見る際にも、その製品やサービスの広告が表示されるタイプの広告です。怪談の「のっぺらぼう」は、のっぺらぼうを見た人が、逃げる先逃げる先で会う人がすべてのっぺらぼうで…、という話ですが、個人追跡型のバナー広告はそれに少し似ています。

 ネットで個人化がここまで進むと、ネット以外でもターゲット広告などを採用する動きが出てきます。例えば、JRの駅などにあるジュース類の自動販売機です。自動販売機に近づいてきた人の性別や年齢層を内蔵カメラを通して識別し、それに合わせて商品サンプルの映像を変えたり、「今のあなたにぴったりのドリンクはこれ!」と表示が出たりします。

 一方で、こうした個人化の流れに全くといってよいほど背を向けていたメディアがありました。放送、特にテレビ放送です。理由は大きく二つあります。一つは、たとえ個人化を進めたくても、技術的にできなかったこと。そしてもう一つは、放送関係者の中に「テレビ番組は、それを見る人全員が同じ内容を見ているのが前提」(例えば、NHK放送技術研究所 副所長の黒田徹氏)という不文律があることです。

 技術的な問題は、放送システムが基本的に一方通行だったことに加えて、テレビ番組は視聴率がたとえ1%でも全国放送であれば約100万人という巨大な単位になることも関係しています。番組内容を特定の性別や年齢層に合わせて作ることは前からあっても、特定の個人に向けた情報に“公共の電波”を使うわけにはいかなかったのです。

放送を個人化する技術が続々

 それでも、通信の世界でここまで発達したコンテンツや広告の個人化を目の当たりにして、テレビ関係者がこのまま何もしないわけにいかないと考えるのは自然なことです。そして実際、最近になって、通信の力を借りる形で放送を個人化する技術が雨後の筍のように出てきました。NHKが2013年9月2日に開始した、放送と通信の連携サービス「ハイブリッドキャスト」もその一つですTech-On!の関連記事NEデジタルの関連記事。ちなみに、『日経エレクトロニクス 2013年10月28日号』の特集記事「膨張する放送」では、この放送を個人化する技術群を、4K/8K放送などの「高精細化」の動きとともに詳しく紹介しています。

 特集中でも紹介していますが、放送の個人化は、単なる通信の後追いを超えた大きなインパクトがあります。100万人単位、多い場合は数千万人が見る放送で、個人化を同時にできればその威力は絶大でしょう。

 その最も分かりやすい例が、今回のテーマでもあるテレビCMの個人化です。放送番組自体は不特定多数に向けた内容のままで、テレビCMだけを個人化できれば、広告の効果は飛躍的に上がります。これまでテレビCMの広告主は、巨大だけど網目も非常に粗いザルのような網を使って“漁”をしていたのに対して、巨大でしかも網目が細かい網で漁ができるようになるのです。

 より具体的には、同じ自動車会社のテレビCMでも、それを見る人の属性、つまり地域、性別、年齢層、そして所得水準などに応じて、紹介する車種を変えたり、値引き情報を出し分けたり、さらには、見ている人が住む街限定のサービスや販売店情報を紹介するといったことが、少なくとも技術的には可能になってきました。将来的には、自動販売機と同様にテレビに内蔵したカメラで、テレビを見ている人を識別することを考えているメーカーもあります。

 ところが、これを実現するには、放送の個人化が進まなかったもう一つの理由、「テレビ番組は、それを見る人がすべて同じ内容を見ているもの」という不文律を変える必要が出てきます。私はなぜこうした不文律があるのかよく分からず、特集記事の取材で放送関係者に理由を聞いてみました。その回答は「そうでないと視聴者の信頼を裏切る可能性があるから」というもの。今度はこの回答自体がよく理解できず、その時はそれ以上の追求はできませんでした。

 ただし今は、そこで取材した放送関係者の懸念が少しだけ分かってきたかもしれません。例えば、報道番組で流れるニュースが、それを見る人の嗜好や信条に沿った話題ばかりになれば、災害への対処や社会問題を解決するための共通認識を得ることが難しくなります。

 また、個人化されたテレビCMが流れた翌日、そのテレビCMが小学生の間で話題になったとします。ある小学生が、「あの(高級車の)レクサスのCM格好良かったね」と友達に話しかけます。すると、その友達は「あれ、確か(大衆車の)カローラのCMじゃなかった?」と答えるかもしれません。つまり、テレビCMの話題で、その小学生の家庭の所得水準がある程度分かってしまうことになります。

 個人化が進んでいる通信では、通信のコンテンツやサービス内容を基に他の人と同じ話題で話し合うという機会自体が少ないのでこうした弊害は起こりにくいですが、放送では多数の人が見る人気番組であればあるほど、そして個人化の網目が細かくなればなるほど、その弊害は顕著になります。

 それでも、テレビ放送の個人化が今後も全く進まないとしたら、テレビ番組は万人向けだけどつまらないコンテンツばかりになり、個人化が止まらない通信のコンテンツやサービスに視聴者や広告主を奪われ続けるでしょう。放送のある程度の個人化は、テレビ放送を守るためにも避けられない大きな流れといえます。今回の特集記事でも触れていますが、その変化のスピードは意外に早く、2020年の東京五輪のころには日本のテレビ放送が様変わりしている可能性がありそうです。