社会にとって重要な課題は何だろう

北野 そうした研究を進める中で次はどうしようかと思ったんです。いろいろな話はあったのですが、もう一度日本に戻ってみてもいいかなと考えた。その中の候補にソニーCSLがあって、面白そうだと思ったんです。帰国したのは1993年の夏のことです。当初はソニーCSLにいるのも2~3年かなと考えていたけれど、結局辞める機会を失って、まだいるという(笑)。

加藤 当時、ソニーのコンピュータはどうだったんですか。

北野 ワークステーションの「NEWS」のころですね。それで土井(土井利忠氏、ソニーCSLの創設者)さんが、「やはりソニーもコンンピュータ・サイエンスの研究をしないと、単発で終わってしまう」と考えてCSLを創設した。

 だから、僕が来た時にはOSやコンピュータ言語、画像認識など、本当にコンピュータ・サイエンスの基礎研究所という雰囲気でした。その後、世の中の電子機器はすべてコンピュータになっていったわけです。新しいフロンティアはどんどん変わっていきます。だから、コンピュータ自体ではない研究もCSLの中では増えてきたんですね。

加藤 2~3年で辞めようと思っていた北野さんが、20年も居続けてしまった。そこには何か理由があると思うんです。面白かったのか、逃げられなかったのか(笑)。基礎研究所というのは企業の中でどういう存在なんでしょう。この20年間で変わりましたか。

北野 あまり変わっていないですね。周囲の環境は変わっていますから、それに応じて手掛けるテーマには変化があるし、立ち位置も違うところがある。でも、基本的に未来に向けた種まきという立場に変化はありません。5年、10年、20年というスパンで研究を考えていく必要がある。長期視点では、会社の事業領域自体が大きく変わる可能性は十分にありますから。

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加藤 研究がソニーのコア技術になっていくというイメージを目指しているのでしょうか。

北野 最初は、「社会にとって重要な課題は何だろう」というところからテーマを設定します。「ソニーにとってどうか」を考えると、視野が狭くなってしまうので。重要な問題を解決する技術には、必ずビジネスの機会はあるはずですよね。

 そもそも、コンピュータの将来像、あるべき姿を徹底的に考えて出てきた成果の中には当然、ソニーが使えるものが存在します。次の段階として、それを見逃さないように製品につなげていくという取り組みがある。

加藤 大学や国の研究機関に似ていますね。

北野 いや、違うと思います。なぜかと言えば、ソニーCSLは論文を発表しなくてもいいですから。公的な科学研究費の制度では、例えば3年くらいの期間に論文が出なければ次は費用を獲得できなくなる。だから、その間に成果が出て論文が通るテーマでないと手掛けにくいというのが現実だと思います。