対談:北野宏明 × 加藤幹之

ソニーCSLは論文を発表しなくてもいいですから

加藤 ICUを卒業した後、すぐにNECに入社したんですよね。大学院に行こうとは思わなかったんですか。

北野 それも考えましたが、専攻していた理論物理で大学院に行くと、その後が大変なんですよ。仕事がなくて。

北野 宏明(きたの・ひろあき)氏
ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL) 代表取締役社長兼所長。1961年埼玉県生まれ。1984年国際基督教大学教養学部卒業後、日本電気に入社。1988~1993年米Carnegie Mellon University 客員研究員。1993年ソニーCSL入社。2002年 同研究所 取締役副所長、2008年7月同取締役所長。2011年6月より現職。
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 もう一つ、そのころにコンピュータに興味を持ち始めて、そっちの方が面白くなった。企業を辞めて大学院に入り直すのはやりやすいけれど、その逆はほぼ無理です。当時は新卒でないと企業はほぼ採用してくれませんでしたし。だから、一度企業に入ってみようと。

 でも、入社式に行った瞬間に「僕はここに長くいられない」と思いました。だって、全員日本人でしたから。ICUは、門を入って教室に行くまでに7カ国語くらいが普通に聞こえてくる環境でした。日本語と英語が混じった生活を4年間続けましたし。そのうち、いつか自分で会社を興したら、こういう大手企業がライバルだと思うようになった。敵情視察しておこうと(笑)。

 とにかく嫌になったら辞めたらいいので、修行のつもりでやってみようと思いました。配属は、ソフトウエア関連の研究所でした。研究所とは言っても、実際はソフトウエア開発の品質管理技術や生産支援システムを開発して顧客に納める業務です。

 正直なところ、当時はあまり面白いと思っていなかったんですが、今考えると、ものすごく役立っています。ソフトウエアを開発して、顧客対応をして、展示会で説明員も体験しました。ものづくりの流れを一通り体験したのは貴重な体験でしたね。

加藤 その後、CMUに留学しましたね。社費留学だったんですか。

北野 そうです。最初は辞めていくと言ったんですが、社内留学の制度があるからと行かせてもらいました。社内留学は基本的に1年間なんですが、ピッツバーグ駐在という形で3年間いて。

加藤 何の研究をしていたんですか。

北野 音声翻訳システムや並列計算機、遺伝的アルゴリズムなどを研究していました。いわゆる人工知能関連です。

 当時、特に米国は並列計算機ブームでベンチャー企業もたくさんありました。僕が並列計算機の研究をしていることは割と知られていたので、あのころに作られた並列計算機にほぼアクセスできた。すごく面白かったですね。