対談:北野宏明 × 加藤幹之 

秋葉原って、変わり続ける街なんですよ

加藤 今日は、ソニーCSLというクリエーティブな研究所が、どのように成り立っているのか。創造的であり続けるには、どうすればいいのか。そして、その集団をマネジメントしている北野さんが、どんな人なのかに興味があってインタビューをお願いしました。北野さんは、どんな少年だったんですか。

北野 宏明(きたの・ひろあき)氏
ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL) 代表取締役社長兼所長。1961年埼玉県生まれ。1984年国際基督教大学教養学部卒業後、日本電気に入社。1988~1993年米Carnegie Mellon University 客員研究員。1993年ソニーCSL入社。2002年 同研究所 取締役副所長、2008年7月同取締役所長。2011年6月より現職。
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北野  埼玉の川越の生まれなんです。小さいころは星を見るのが大好きで、天文学者になりたいと思っていました。「全天恒星図」とか、天文関連のデータブックのような天文マニア向けの本を買ってもらって読んでいました。絵や習字、バイオリンとかも一通りやらされたんです。絵は割と上手で描いていましたけど、他はあまり続かなかった。やはり星が好きでしたね。

 中学・高校は早稲田実業です。今は国立市にあって共学になり、進学校ですけど、当時はまだ早稲田にあった。結構、バンカラな校風で荒っぽかった。

加藤 荒っぽかった?

北野  本当に物理的に荒っぽかった(笑)。中学高校時代は授業をまじめに受けずに、秋葉原に行ってシンセサイザーやアンプ、スピーカーを作っていました。スピーカーを作って、コンテストに出して、入賞するともらえるユニットでまた作るとか。

加藤 電子工作は、クラブ活動だったのですか。

北野 個人的な趣味です。雑誌で勉強しながら自分で回路を考え、夜中に作って授業中は寝ているという感じでした。

 当たり前ですけれども、早稲田実業は圧倒的に早稲田大学に進学するという価値観なんです。でも、6年間早稲田にいて、また同じというのもどうかと思い、違うところに行こうと思ったんです。本当は、米国の大学に行きたかった。でも学費が高い。米国の大学にエッセイを送ったりしましたが、「エッセイは面白いけれど、学費は払えるか」という手紙が届いた。払えないので、やはりだめだと。

 そうこうしている時に、たまたまサイクリングでICUのキャンパスに迷い込みました。大きな公園かと思ったら大学で。調べたら、とても少人数のこじんまりした大学ということが分かって面白いなと。