「農村から都市を攻める」とファーウェイ

 現在、通信設備とスマートフォンで世界的に名を馳せる中国Huawei Technologies社(以下、ファーウェイ)において、その成功の原点は、実は中国の農村にある(ファーウェイとZTE、競争での躍進)。

 ファーウェイが起業された1980年代の中国は、経済の発展に伴って通信サービスの市場が急速に拡大していた時期だ。多くの中国系の通信関連企業が次々と誕生し、海外から進出してきた外資系の通信大手の販売代理として、成長している交換機市場に参入していた。ファーウェイが深セン市で起業した時、深センには既に100社以上の通信関連企業が存在していた。さらに、都市部の交換機市場は、既に外資系企業によって席巻されていた。資金、技術、販売網のいずれにおいても弱小な民営企業であったファーウェイは、発展するどころか、生存すら困難な状況だった。まさに、毛沢東が創立者の1人として中国共産党を創立した時と非常に似ている内外環境だった。

 ファーウェイの創業者であり、軍隊の経歴を持った任総裁(創業当時)は、毛沢東思想を活用し、「農村から都市を攻める」という戦略で、まず農村市場に乗り出した。利益が高い都市部の市場ではなく、外資系企業が着手していなかった農村市場に重点を置いた営業活動を展開することで、経営を軌道に乗せたのだ。それによりファーウェイは実力を蓄え、現在では中国の都市部の市場も獲得しつつであるほどに成長している。同社は、海外市場進出のときにも、同じの方策で、まずアフリカなどの発展途上国での市場開拓に力を入れた。

 任総裁は、「農村から都市を攻める」といった経営手法に加え、毛沢東が軍隊の団結力、作戦力を高めるために適用した管理手法、すなわち、一例を挙げると「批判と自己批判」(互いに意見を平等に交換し、反省する)といった手法を組織管理や人事システムに導入し、定期的に実践した。組織の中で互いに改善すべきポイントを話し合うことで、組織力の強化や向上につなげたのだ。ファーウェイは、1つの軍隊のように、トップの号令で社員が一斉に同じ目的に向かって動き出すチームワーク力を備えており、それが同社の奇跡の成長を支えたとされる。