スマートフォンやタブレット端末の世界では、かつては多くの製品が米Texas Instruments(TI)社のアプリケーション・プロセサである「OMAP3」や「OMAP4」を採用していました。ところが、TI社は2012年に「OMAP5」の開発をスマートフォン向けから産業機器向けに転換すると宣言するなど、モバイル端末への注力度は弱めているとの印象を受けます。OMAP5のスマートフォンでの採用事例は今のところないもようです。

 TI社はおそらく、意図的に“レッド・オーシャン”から距離を置こうとしているとみられます。本コラムでこれまでにお話したように、クアッド・コアCPUを搭載したアプリケーション・プロセサは今や中国の半導体メーカーでも問題なく作ることができる。こうした状況が、TI社の決断の背景にはあったと思われます。

 2007年にTI社がファブライト化を宣言した際、発表文中には「台湾でも同じものが作れるようになった」との一節がありました。「同じもの」がアジアでも作れるようになった。だから同じ土俵でそれ以上戦うことはせず、生産委託に切り替える。極めて合理的な判断であり、優れた実行力といえるでしょう。

 それでは、TI社は民生機器向け半導体からは完全に手を引いているのでしょうか。そうとはいえない状況が各種機器の分解からは見えてきます。

MacBook AirやNOOKの基板を“占領”するTI社のチップ

 米Apple社が2013年に発売した「MacBook Air」の最新機種のメイン基板を図1に示します。米Intel社が発売したばかりの22nm世代プロセサ「Haswell」が採用されています。

図1●MacBook Air最新機種のメイン基板に採用されていたTI社のチップ
図1●MacBook Air最新機種のメイン基板に採用されていたTI社のチップ

 Haswellのようなメイン・チップについ目を奪われがちですが、メモリとRFチップを除いても、このMacBook Airには23個の主要半導体チップが搭載されています。それらの供給元メーカーと国籍を図2に示しました。驚くなかれ、一番多く使われていたのはTI社のチップです。7個の同社製チップが使われており、個数ベースで全体の30%を超える採用率となっています。

図2●MacBook Airの主要半導体の供給元
図2●MacBook Airの主要半導体の供給元

 TI社は電子書籍でも圧倒的な採用実績を誇ります。逆に、スマートフォンやタブレット端末で強さを見せつけている米Qualcomm社や台湾MediaTek社のチップは、電子書籍ではほとんど見かけません。

 電子書籍といえば、米Amazon.com社の「Kindle」やソニーの「Reader」、楽天の「kobo」などが有名ですが、米国では「NOOK」という機種が人気です。全米一の大型書籍企業であるBarnes & Noble社の製品で、ときにはKindleを抑えて販売台数で首位に立つこともあるようです。

 NOOKの基板を図3に示します。なんと、メモリを除くすべての半導体チップがTI社製です。アナログ部品から通信用チップ、アプリケーション・プロセサ、パネル・コントローラ、システム・マイコン…。まるで、TI社の製品ポートフォリオのお披露目会のようです。「キット・ソリューション」や「ターンキー・モデル」など、チップセット型ビジネスを表す言葉は多々ありますが、これほどまでに徹底して特定メーカーのチップ群だけで構成された製品はまれです。

図3●電子書籍「NOOK」の中身。メモリ以外のチップはすべてTI社製
図3●電子書籍「NOOK」の中身。メモリ以外のチップはすべてTI社製

 TI社が大きな存在感を示しているのは、MacBook AirやNOOKにとどまりません。韓国Samsung Electronics社の最新のスマート・テレビのメイン基板には、TI社のチップが5個も搭載されています。RS-232インターフェース・チップやオーディオ・アンプ、降圧コンバータなどです。そして画像変換基板にも、TI社のバイアス・コントローラやDC-DCコンバータが搭載されています。Samsung社のスマート・テレビにおいても、個数ベースの採用率はTI社がトップなのです。

 これとほぼ同時期に発売されたパナソニックの4K対応ブルーレイ再録機「BZT9300」でも事態は同様です。2.4GHz帯の通信用チップや光ディスク装置のモータードライブ・チップをはじめ、1394コントローラや降圧コンバータまで、TI社のチップがここでも数多く採用されています。

モバイル端末でもアナログでは依然として存在感

 「機器に搭載されるチップの大半をTI社がまとめて供給する」という構図は、民生機器から産業機器、医療機器に至るまで、分野を問わず共通しています。同社がいかに製品を汎用チップとして戦略的に売ることができているかが見て取れるでしょう。

 先に、スマートフォンやタブレット端末では、TI社のプロセサをあまり見かけなくなったことを紹介しました。しかし、プロセサという点にこだわらなければ、今でも大半のスマートフォンやタブレット端末でTI社のチップを目にします。一例として、中国Huawei社のスマートフォン「Ascend D2」における同社チップの採用例を図4に示しました。

図4●Huawei社の「Ascend D2」に採用されているTI社のチップ群
図4●Huawei社の「Ascend D2」に採用されているTI社のチップ群

 このように、TI社は膨大な開発費がかかるアプリケーション・プロセサやベースバンド・プロセサの事業からは距離を置いたものの、電源ICや電池制御IC、ヘッドフォン・アンプなど、競合企業が少ない“ブルー・オーシャン”では、モバイル端末などの民生機器においても依然として圧倒的なシェアを誇っているのです。