日本発で、今や世界中のハードディスク装置(HDD)に使われるようになったデータ記録技術「垂直磁気記録」。Tech-On!では2013年5~7月に、この技術を開発を進めた技術者たちの物語「垂直磁気記録、30年の苦闘」を連載した。1970年代に垂直磁気記録を提唱した人物が、東北工業大学 理事長の岩崎俊一氏。日経ものづくりが研究者・技術者としての心構え、そして信念に迫ったインタビューの2回目。(聞き手は日経ものづくり編集長 荻原 博之)

 先見性というのは、独自の実験による事実の積み重ねと、技術革新に対する歴史観から生まれるものです。こうして僕は垂直磁気記録に確信を持ち、それが揺らぐことは一切なかった。もちろん、死の谷の時期においても。

 だから、仲間たちはみんな、僕を信じ、僕に手段を任せてくれた。指揮官はやはり、それだけの見識を持って、己の信じた道を進まなければいけない。そうした中で、国際会議を定期的に主催し、論文をきちんきちんと発表することで、死の谷をダーウィンの海へと変えることができたんです。

江田島のDNA

「僕はさらに『技術は科学の父』という言葉を付け加えたい」(写真:栗原 克己)

 2000年代に入ると、面記録密度が100Gビット/(インチ)2に突入し、同時に水平磁気記録の限界が見えてきた。するとついに、垂直磁気記録への移行が始まり、2005年5月には東芝が垂直磁気記録方式のHDDを搭載した音楽プレーヤーを世界に先駆けて発売しました。これで、垂直磁気記録への転換が急速に進むことになった。

 それにしても、この転換ぶりはすさまじい。片や、トランジスタラジオの年間生産量が1000万台に達するのに10年。片や、垂直磁気記録方式のHDDは6億台に到達するのにたった3年。こんな劇的な転換は、長い工業の歴史においても例がありません。

 それは、ここでお話ししたように技術の筋の良さに加えて、研究成果を特許で縛らずにオープンで使えるようにしたから。もし僕が特許を完ぺきに押さえていたら、この研究はつぶれていたかもしれない。だって、委員長が特許を取っていたんじゃ、付いてくる人たちは困る。しまいには知恵を出さなくなって研究体制が崩壊してしまうでしょう。

 こうした僕の考え方の底流には、江田島のDNAがある。江田島とは、広島県にあった、海軍兵学校のこと。1943年に入学し、そこで自分個人のことよりも国や社会全体のことを考えるという教育を徹底的に受けた。特許を取るということは自分のためであって、社会のためという僕の信念が崩れる。海軍の伝統である「指揮官先頭」という教えを、委員長が率先して行ったわけです。