2001年秋に開催された「東京モーターショー」。
そこでパイオニアは通信カーナビの試作品を展示した。
データ通信モジュールを開発してくれるメーカーが見つからず
やむなく講じた窮余の策だった。
パイオニアのやる気を公に知らせることで
部品メーカーの懐柔を試みた。
現実は甘くなかった。

 年が明けて,2002年1月。目標とする製品化時期まで1年を切った。それでも,開発部や企画部が顔をそろえた会議は膠着状態が続いていた。

 「で,どうしましょうか。そろそろ決めないと」

 「うーん,どうにもこうにも」

 「ほかにはないですからねえ,作ってくれそうなところが。やはり彼らに頼むしか…」

 「でも大丈夫かなぁ,本当に」

 「厳しいかと思いますが,いくしかないでしょう」

 「うーむ」

 データ通信モジュールの開発を韓国メーカーに正式に依頼するかどうか,最終的な決断を下すべき日時が差し迫っていた。これ以上,結論を先延ばしにすることは許されない。さもないと,製品化計画を見直す必要が出てくる。本橋らは悩みに悩んでいた。

 本橋らを優柔不断にさせていた理由がもう1つあった。ここにきて,アルプス電気が「ぜひ協力したい」と申し入れてきたのだ。ただ,アルプス電気には「前科」があった。以前はいくら説明しても,そっけない態度のままだった。今になって「やりたい」と言われても,にわかには信じ難い。いつ手を引かれるかもしれないとの恐れから,交渉が先行している韓国メーカーに頼りたくなるのも人情だった。

 その日も川越事業所でアルプス電気とのミーティングが予定されていた。

 「本橋さん,アルプス電気さんがお見えになったみたいです」

 「よし,行こう」

 本橋たちは会議室へと向かった。ドアをノックし,勢いよく開ける。

 「失礼します」

 あれ? 誰? えっ! 本橋たちは絶句した。無理もない。そこにいたのは顔なじみの事業部長だけではなかった。アルプス電気の社長,片岡政隆が立っている。

 「データ通信モジュールの件,ぜひウチにやらせてください」

 「……」

 まさに青天のへきれきだった。先方の社長が直々に来て,頭を下げてくれるなんて…。

 謎を解くカギは,東京モーターショーにあった。パイオニアの説明員が通信カーナビについて一生懸命説明した来場者の中に,どうやらアルプス電気の「お偉いさん」がいたらしい。その人物はパイオニアのやる気に心を打たれた。その話が,やがて片岡社長の耳に入り,是が非でも協力しろとの命が下った。実際に社長自らが乗り出すことで,今度こそやる気があることをパイオニアに見せたかったのだろう。

 理由はどうであれ,本橋たちにとって,これ以上の話はない。アルプス電気は車載部品を得意とする代表的な部品メーカー。パイオニアがすぐに同社と手を組んだのは言うまでもない。アルプス電気は,パイオニアにとって絶好のタイミングで現れた救世主となった。