本当に大丈夫か…

 「うわー,予想以上に寒いですね」

 「とりあえず早く移動しよう」

 2001年12月。ハードウエアの開発の責任者である本橋実や,商品企画部の畑野の部下である岩動恭二,KDDIの原口英之らは,厳冬の韓国に乗り込んでいた。

 苦肉の策だった東京モーターショーのデモは実を結ばなかった。部品メーカーの関心は高まったものの,即座に協力を申し出る企業は皆無だった。畑野や本橋らが焦り始めたころ,パイオニアの期待に唯一応えてくれそうなメーカーが現れた。原口が紹介してくれた韓国メーカーである。既に何回か日本で話し合いの機会を持ち,好感触を得ていた。ただ,実際に契約を結ぶには,直接現場の技術者と対面し,開発や製造の現場をこの目できちんと見ておきたい。そのための訪韓だった。

 名刺交換もそこそこに,本橋らはデータ通信モジュールの要求仕様を語りだした。車載部品は家電製品などで使われる部品とは,求められる特性が大きく異なる。激しく揺れる車内でも問題なく使用できる高い耐振動性や,-40℃~+85℃といった広い使用温度範囲での正常な動作が求められる。

 するとどうだろう。先方の顔色が見る見る青ざめていく。本橋らが細かく,そして深く説明すればするほど,車載部品を開発することの難しさを次第に理解していくようだった。どうやら,この韓国メーカーが車載部品を開発するのは初めてのようだ。これで本当に大丈夫か…。説明する本橋たちにも不安感が広がった。

 会合を終えて,本橋らは帰国の途に就いた。本橋らの懸念は,出国前よりむしろ大きくなっていた。