「ぜひ,一緒にやりましょう」
廉価版カーナビでKDDIとの協業を実現したパイオニアの畑野一良。
KDDI側でも反対意見が上がる中、
定額制の料金体系の導入がまとまった。
だが、カーナビの開発現場では、
企画部と開発部の折衝で熱い議論が交わされていた。

 汗のにじんだ額に,深いしわが刻まれていく。本橋には技術者としてのプライドがあった。「じっくりと腰を据え,自分たちが納得できる最高の製品を開発したい」。

 時間をかけて製品開発を進めたい理由は,それだけではなかった。データ通信モジュールを内蔵した5万円程度の超廉価なカーナビというコンセプトは,本橋をはじめとする開発陣の頭の中にも以前からあった。実際,ハード・ディスク装置(HDD)搭載カーナビの開発の裏で,さまざまな調査や検討を既に進めていた。その中で募っていたのが,これまでのカーナビとは異なる新たなプラットフォームを開発したいとの思いである。

 ハードウエアのコストを低く抑えるためには,カーナビに搭載するマイコンやメモリなどで構成するプラットフォームをできるだけシンプルな構成にする必要がある。マイコンは低コストで高性能,メモリはできるだけ容量を小さく,といった具合だ。

 実現の可能性を探るため,開発陣は半導体メーカーにコンタクトし,マイコンのロードマップを示してもらった。だが,条件を満たすチップは,まだ登場しそうもなかった。当時は汎用DRAM事業から撤退するメーカーも現れるなど,半導体業界が苦しんでいた時期。マイコンの開発も滞りがちで,開発陣のアイデアを具現化するのは時期尚早だった。だが,本橋には技術者として感じるものがあった。「もう少し待てば,きっといいマイコンが出てくるはず。それさえあれば,我々が思い描いているプラットフォームを開発できる」。

 加えて,本橋は開発部の苦しい台所事情を勘案する必要もあった。HDDカーナビの「サイバーナビ」と,廉価なDVDカーナビである「楽ナビ」の2本柱で,開発陣は手一杯の状態。第3の柱となる通信カーナビの開発に,リソースを割く余裕はなかった。何よりも時間が欲しい。本橋の願いは切実だった。