かつて米国で一世を風靡したマイスペースというSNSがあったが、その末期は、まさに「スラム化」して悲惨な状態だったという。
では、「有機的データ」を使えばうまくいくかというと、そう単純ではない。たとえば、フェイスブックには、ユーザーの私的データや人間関係のデータが大量に集まってくるが、このデータをそのままに広告に使おうとしても、ユーザーの反発を受けて使うことができないそうだ。
2007年の「ビーコン事件」がその良い例だ。「ビーコン」というのは、フェイスブックと他の商用サイトが提携したソーシャル広告で、あるユーザーが例えば映画チケットを買うと「私は○○の映画チケットを買いました」と自動表示されるしくみである。友人たちがその情報を見て、「じゃ僕も見てみよう」という口コミを狙った機能だったのだが、反発するユーザーが多発した。
自分の購入履歴が広告販売に利用されていることを知ったユーザーから集団訴訟が起こり、悪い印象を残したまま2009年にビーコン・サービスは打ち切られたのだ。
かと思えば、「誕生日」という個人情報をわざわざ友人に知らせるサービスは、友人から「誕生日おめでとう!」というメッセージをもらえるので、問題視する人は少ない。
ありあまる「有機的データ」を集めても、ユーザーから苦情が出ないように「有機的に」使うのは、ものすごく難しいのだ。