どうして病院ではここまで辿りつけなかったのか。理由はいくつも思い浮かぶ。一つは、いつ行ってもごった返す、あの混みようによるのだろう。30分以上も待ってようやく診察室に入っても、驚くほどの速さで診断が下るのは、そうでもしなければ患者の数を裁ききれない医師の多忙さのなせる技だ。しかし、これでは症状の細部に耳を傾け、多数の可能性からピンポイントで判断を下すのは容易ではないだろう。日常生活に支障をきたす深刻な症状でなければ、なおさらだ。

 よくある縦割りの弊害も見え隠れする。痰の原因を探るのに、呼吸器科や胃腸科に掛かるべき場合があるとは思わなかった。もちろん耳鼻科医もわきまえておくべき知識なのかもしれないが、あの忙しさにかまけて、そこまで手が回らないのは理解できる。

 何より、素人の私が想像していたほど、人の体は分かっていないのかもしれない。ネットの教えに従い、「鼻うがい」をしたり、絆創膏で口をふさいで口呼吸を抑えてみたりもした。端から見れば滑稽な民間療法で、正当な医学の裏付けはないのかもしれない。それでもかなりの手応えがあるのは、どういうことか。そもそも、症状に対する原因の特定が難しいのも確からしい。鼻の不調にはストレス説もあって、広大無辺な心の領域まで関わってくるのなら、問題の所在をどこに求めればいいのか、お手上げになってもおかしくない。

 ではなぜ「2ちゃんねる」が糸口になったのか。今はやりの「ビッグデータ」と根っこは同じ気がする。「2ちゃん」には、データが増えれば増えるほど、使える知識が生まれる好循環があるのだ。患者にとって喫緊の課題は、目の前の症状を抑えることだ。だから自分と同じような症状に効果がある手段は、喉から手が出るほど知りたい。ネット上の掲示板は、そう思う人が集まる格好の場を与える。そこでは自己増殖的に事例や意見が増えていく。結果としてできた膨大な情報は、たとえ玉石混淆であっても、貴石を探す患者にとって格好の採掘現場なのだ。

 私が言いたいのは、ここにエレクトロニクス業界の宝の山があるといった、野暮な話ばかりでない。もちろん、ビッグデータの解析手法を、「2ちゃん」の情報や無数のカルテの蓄積に適用できれば、そこから掛け替えのない知恵が浮かび上がりそうだ。多くの人が身にまとった装置で体調を管理し始めれば、さらに深い知見につながりうる。

 もっとも、それよりも主張したいのは、今の医療にはぽっかり欠けた要素があるのではないかということだ。確かに、生命を脅かす病気に対して、医学の発展は目覚ましい。自分も心臓に問題が見つかり、胸を開かずにカテーテルで手術をしてもらったことがある。今ではもっと技術が進み、体の負担はさらに軽くなったそうだ。

 しかし人の体の不調は、入院するほどの病気だけではない。命に関わらなくても、生活の質を損なう症状はたくさんある。偏頭痛や低血圧、アトピーなどもそうかもしれない。こうした疾患は、得てして原因がはっきりせず、症状も出たり消えたりする。病院に行っても埒(らち)があかないこともある。私の鼻水と同様だ。

 そんな問題を抱えてしまったとき、人はどこへ行けばいいのだろう。ネットを検索して似通った症例や良く効く治療法、評判の名医を探したりするのが正解か。2ちゃんにできるなら、どうして病院でできないのか。

 願わくば、ウソに騙されかねないネットより、対面の安心感を選びたい。自分の症状を話せば、効きそうな治療法をいくつも紹介してくれる窓口があって欲しい。専門を問わず、あらゆる症状に応じてくれれば最高だ。そもそも患者の願いは自分の不調の解消であって、何科に掛かるべきかで思い悩む必要はないはずだ。総合病院とはそういう対応をしてくれる場所かと思っていたが、どうやら勘違いだったらしい。

 ひょっとして、そんな場所があるのを自分が知らないだけだろうか。そうであるならありがたい。片耳が遠く、腰に爆弾を抱え、すぐに腹が下ってしまう私は、どこへ行ったら解決するのか、ぜひとも教えてほしいのである。