編集部の最寄り駅である白金高輪は、東京メトロ南北線と都営地下鉄(東京都交通局)三田線の共用駅です。南端(目黒)からは東京急行電鉄目黒線、南北線の北端(赤羽岩渕)からは埼玉高速鉄道線が乗り入れてきます。この結果、どこかで車両点検(故障)でもあってダイヤが乱れると、駅や列車の情報ディスプレイなどには

 「遅延:東京メトロ南北線、車両点検のため」
 「遅延:都営地下鉄三田線、東京メトロ南北線内車両点検のため」
 「遅延:埼玉高速鉄道線、東京メトロ南北線内車両点検のため」
 「遅延:東急目黒線、東京メトロ南北線内車両点検のため」

といった表示が延々と出ることになります。「全部同じ意味じゃないか。1つ言ってくれれば十分」と思うのは私だけでしょうか。

 相互直通運転では、それぞれの線区の障害が、他の線区にも影響を及ぼします。2013年3月から東武鉄道東上線、西武鉄道池袋線、東京メトロ副都心線、同有楽町線、東急東横線、横浜高速鉄道線の5社(誤りを恐れずに言えば6線区)による相互直通運転が始まりました。直通運転区間全体で障害が発生する確率は、単純計算で各線区でそれぞれ単独の障害が発生する確率の6倍になります。異常発生時にはそれぞれ分離運転する手続きは決まっているのでしょうが、影響が皆無というのは無理。そうまでして直通運転をするのは、やはり日本独自の考え方としか思えません。

* 東急目黒線と同東横線が並行して走る田園調布-多摩川園間は、現在実に7社局の電車が通る状況です。

 日本人がなぜ擦り合わせを得意とするのか、あるいは本当に得意としているのかについては、実は決定的な議論はないと思います。明らかなのは、「日本人のDNAに擦り合わせの遺伝子が組み込まれている」、などというのがあり得ないこと。しかし、どうも外国と違いがあるらしいと感じるのも事実で、例えば上記のような多数の社局による直通運転などというやたらと難しいオペレーションを平気でやろうとしているところです。

 なので、DNA以外にどこかで擦り合わせ能力を育成してしまっている要素があるはずで、それもよく分かりませんけれども、個人的に少し気になっているのが義務教育の内容。日本の学校教育は、われわれが当たり前だと思っていることでも、海外から見るとかなり独特なところが多いそうです。

 独特なものの1つに放課後の清掃活動、つまりそうじ当番があります。そうじを生徒が実行すること自体が世界的に珍しいそうで、岡本薫著「日本を滅ぼす教育論議」(講談社現代新書1826)によれば、「日本ではあまり知られていないが、掃除当番を広く実施していたのは、日本以外では、宗教的な行為として採用していたタイなど一部の国と、労働者教育の一環として採用していた旧東欧の一部の国などにすぎない」そうです。

 教室の掃除では、1人ひとりがかなりの“技能”を身につけます。すなわち、まず机にいすを載せて教室の後方に移動させ、その間に前方の床を掃いたり拭いたりして、次に机を前方に移動、後方の掃き掃除と拭き掃除を実行して、机を原位置に復旧させる。特にリーダーの号令があるわけでもなく、机運び、ほうき、雑巾の担当者がそれぞれ役割を分担し、例えばある部分の床がきれいになったら間を置かずに机が突入してくる、といったかなり高度な同時並行オペレーション(しかも多工程持ち)の練習を、場合によっては毎日当たり前に繰り返すわけです。

 「『班』という日本独特の存在」(同書)も“1人は全員のために、全員は1人のために”という精神を培うのに役立っているのだとか。米国の学校で班を導入したら、「全員が班長になりたがって」(同)混乱したという例があるそうです。「アメリカの子どもたちは、『班』として行動する能力がないのではなく、そうしたことに慣れていなかった」(同)。ちなみに、「日本人の協調性や集団志向性」(同)がDNAに擦り込まれたものではないことは、「ハワイの日系人との比較研究などによって既に実証されている」(同)そうです。

 これで「擦り合わせ能力」の獲得過程が全て説明できるとは思いません。ただ、日本人あるいは日本社会の擦り合わせ能力が本当に高いのだとすれば、それを強化したり利用したりすることは当然考えた方がよいのではないでしょうか。そのためにはある程度、擦り合わせ能力がどこから来ているかを知る研究は、必要なように思います。