日本メーカーが本格化している新興国市場の攻略について、「これまでの新興国での取り組みを真摯に振り返り、反省点を改革すべき」と話すのは、横浜国立大学 経営学部 教授のCho,Du-Sop(曺 斗燮)氏だ。過去20年間にわたり、日本企業の海外展開や、韓国Samsungグループの経営戦略を研究してきた同氏は、「日本メーカーの海外拠点の現地化はほとんど進んでおらず、新興国で成功できる状態ではない」と手厳しい。

チョ トゥソップ 1956年生まれ。経済学博士。1983年、韓国Korea Universityを卒業後、韓国Korea Exchange Bankに入行。1994年、東京大学 大学院 経済学研究科修了。名古屋大学 経済学部 講師を経て、1996年、同大学 大学院 国際開発研究科 助教授。2003年同研究科 教授。2004年から現職。主な著作に『北米日系企業の経営』(共著、同文舘)、『三星の技術能力構築戦略』(共著、有斐閣)など。

 今から十数年前。韓国Samsungグループの部長クラスと一緒に、同グループの東南アジアや欧州の海外拠点を訪問する旅をしたことがある。グループの国際化の状況を調べてほしいという依頼があり、韓国Samsung Economic Reserch Institute(SERI)で、半年間ほど客員研究員を務めた。

 そのときは、率直に言って「Samsungグループには、国際化は無理」という印象を抱いた。当時、韓国は国を挙げて「世界化」をスローガンに掲げており、それに乗って韓国企業は海外展開に力を入れていた。まさか、1年後に「IMF危機」で国が破綻するとは誰も思っていなかったのだ。

変化のない日本メーカー

 Samsungグループの国際化が難しいと考えたのは、海外展開が手段ではなく、目的になっていたからである。かなり大規模で豪奢な社屋を建てていた海外拠点では、「日本メーカーは、小さく生んで大きく育てる国際化を進めているが、大丈夫か」と聞くと、責任者から「これは私のプロジェクトではない。秘書室のプロジェクトだ」という答えが返ってきた。

 全体的に、現地の取り組みの建前と本音が違っており、組織が機能していない印象だった。だが、IMF危機で痛い目に遭ったSamsungグループは、選択と集中を推し進め、2000年ごろから“戦略企業”に変わっていく。現在のような新興国に強い企業グループに、急になったわけではない。意図せざる学習が背景にあった。

 一方、日本メーカーは、1960年代半ばから東南アジアをはじめとする新興国に生産拠点をつくり、いち早く海外展開を進めてきた。この40年を超える歴史の中で何をしたのか。