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 元Samsung Electronics社常務の吉川良三氏による新連載「日本メーカーのものづくりを再考するための サムスン競争力の研究」を2013年4月号から開始しました。驚異的な成長を遂げて日本メーカーをしのぐようになった同社について、その強みと弱みを「競争力」の観点から分析するとともに、日本メーカーの採るべき道を考えていこう、という連載です。

 企画段階において編集部内や、吉川氏との間で議論になったのが、「サムスンのことを書くのか、日本のことを書くのか」。連載のタイトルに「サムスン」の文字があるのになぜ日本の話になるのか、と思われるかもしれません。もう少しはっきり言うと「サムスンについて考える(研究する)のが目的」なのか、「目的は日本について考えることであり、サムスンの研究は手段」なのか、ということです。

 この結論は、完全に0か1かでは表現しにくいところもあるのですが、基本的な立ち位置はぜひ連載第1回(関連URL)をお読みいただいた上で判断していただければ幸いです。と申し上げるだけではなんですので、ここでは連載タイトルとして「サムスン流ものづくり」という案はボツになった、ということを申し上げたいと思います。

 吉川氏は、日本を外側から見た経験からだと思いますが、日本メーカー自身が気づいていないと思われる弱点を幾つも指摘されます。しかし、サムスンがベストだと考えているわけではなく、同社の長所ばかりを語るわけでもありません。「サムスン流」と言ってしまうと「何かの家元のような印象を与えて、サムソンのやり方を絶対化して扱うことになってしまう。それは避けたい」(吉川氏)とのことでした。

 同氏のものづくりに関する見解は、かなり“通説”とは異なるところがあります。「サムスンが勝った理由は価格競争力ではなく、ユーザーにワクワク感を与えることに成功したため」「世界各国のニーズをきめ細かく捉えたのがサムスン。日本は世界中で同じものを造ろうとしている」「ウォン安でサムスンは困っていた」「日本企業の体質はトップダウンであり、サムスンの方がよほどボトムアップ」といった独自の見解が、今後の連載でお読みいただけるのではないかと思います。一方で「日本に空洞化は発生するはずがない」「日本が負けたのは“もの”であって“つくり”ではない」「韓国、中国ではイノベーションは起き得ない」とも。

 サムスンにこれだけやられているのになぜ「空洞化は発生しない」のでしょうか。その答えも今後の連載に出てくると思います。